2003/vol.06
「この2年半で、スキルは向上したと思うか?」と宏樹に問うと、「それは感じない。ただ、意識の面では変わったと思います」という。だが、積んできた経験は確実にスキルの向上を生んでいるはずである。その辺を、加入当時から宏樹を知る高畠コーチに話を聞いた。 「スキルという意味では、宏樹は、バッと体が動いて『おおっ』って思わせるプレーを最初からできてた。ただ、戦術がなかった。そこで石さんの指導を受けて、個人の戦術、グループの戦術、チームの戦術を少しずつ覚えていったということです」 宏樹に石崎監督の就任当初を思い返してもらった。 「石さんには練習中からよく怒られましたね。いまでも集中が少しでも切れてたら、必ず言われます。もちろん、自分ではそんなつもりないんですけどね。とくに最初の頃は、めっちゃ言われましたねぇ。変な言い方ですけど、高校とか大学までは厳しい環境じゃなかったし、友だちと楽しくサッカーやってる部分もあった。流されてたところもあったと思うんですよ」 本人は、そう語るが、高校3年ではインターハイ出場、選手権県大会決勝進出、大学時代は4年で関西大学リーグ初優勝と、実績は残してきた。大学4年間、試合に出続けたうえに関西選抜にも選ばれている。 「そこそこ強かった、という感じなんですよ。常に。細かく指導を受けたり怒られることもなかった。だから、石さんに会って変わったところはあると思います」 麻生グラウンドでは、DF陣だけを集めて石崎監督がヘディングや競り合いの練習をしていることがよくある。 「宏樹! もっと体が伸びるじゃろ」 もっと高く──。石崎監督は、宏樹の潜在能力を引き出そうとしているのだろう。 「頭の中でサッカーができるように」とは高畠コーチの言葉である。体が動くままにサッカーをしてきた宏樹は、少しずつ「考えるプレー」を体に染み込ませていった。たとえ一瞬の判断が遅れても追いついてしまうほどのスピードを持つ彼に、その「一瞬」がなくなった時、めざす“余裕のあるプレー”が完成するのではないだろうか。 |
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さらに、高畠コーチが言葉を続けた。 「能力を持て余している、とも言えるかもしれない。きれいなプレーを好む選手だけど、勝つためには泥臭いプレーも必要。いまのプレーが良かったのか、悪かったならどう対処すれば良かったかということを、ひとつひとつ考えさせて、だんだん自分で判断や説明がつくようになってきた。“意識”がさらに高まっていけば、能力から言えば代表にも近いと思うんやけどね」 エジソンコーチは「上をめざすなら、もっと声を出せる選手になることが絶対に必要」とエールを送る。 いまは、目の前の試合に勝つことだけを考えたい、という。あっという間の100試合で、そのなかの1戦を強烈に記憶していることはない、という。伊藤宏樹のなかで感情が剥き出しになるような経験は、まだこの先に残されているのである。 「僕が入ったときにJ2にチームが落ちたんですけど、いま思うと、もし、J1のままやったら試合に出られなかったでしょうね。いまはJ1に上がりたいという気持ちが強いです。そこがスタートだと思ってます」 2001年、立命館大学より川崎フロンターレに加入。初年度から不動のDFとして出場し、今季はリーグ戦100試合出場を達成している。1978年7月27日生まれ、愛媛県出身。183cm、74kg。 |