2002年7月に入籍した温子夫人とは、その年のシーズンオフに沖縄で結婚式をあげた。プロ入りし、新しい環境に慣れず落ち込んでいた我那覇に外の世界や人とコミュニケーションをとる大切さを気づかせてくれたのは当時、知り合った温子夫人だった。
「もっと外に出て世間というのを知ったほうがいいって、よく言ってくれました。それから徐々に楽しくなっていったんですよね。いまは、落ち着けるし栄養管理もしてくれるので、家族のためにも頑張りたいって思う」
親孝行も欠かさない。昨年、10月18日の札幌戦に両親と妹を等々力に招いた際には、ゴールを決めてメインスタンドにいる家族にガッツポーズを送った。
「親には、感謝しています。沖縄って九州大会に行くにも飛行機だから遠征費もすごくかかるんですよ。それに、宜野湾高校は2時間かかる遠い学校だったんですけど、行きたいって言ったら『最後まで続けられるなら任せる』って尊重してくれて。父の職場が途中にあったからそこまで毎朝車で送ってもらってたんです。宇栄原FCでサッカーをはじめたときからずっと応援してくれていて、本当にありがたいですね」
まだ高校生だった頃から現在に至るまで、地元メディア「琉球新報」では我那覇の活躍を何度も取り上げてきた。遠い故郷で見守ってくれる人たちに確実に届けられる記事の存在は、我那覇にとってなによりうれしいことだという。
今年5月2日(日)の朝刊に掲載された「がんばれ、我那覇選手」と題したコラム(金口木舌)の終わりは、こんな風に綴られている。
──03年8月現在、県内のサッカー人口は小学生、中学生合わせて約7,275人、高校まで合わせると約1万人。プロで活躍する我那覇選手らは、県内のサッカー少年にとって手本であり、あこがれの的だ。
J2で2位以内に入れば来季はJ1に昇格する。サッカー少年たちの夢のためにも頑張れ、我那覇選手。──
|
|
1999年、宜野湾高校より川崎フロンターレに加入したストライカー。
1980年9月26日生まれ、沖縄県出身。
182cm、75kg。 |
|