Special Interviewsスペシャルインタビュー
ケンゴ選手の引退に合わせ、フロンターレ縁の選手にインタビューを行いました。
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DATE: 2020-12-1 / Format: Text
特別インタビュー vol.03 ジュニーニョ
ジュニーニョの言葉が、やがて、クラブ伝統のスピリットになった。「サポーターは、いつも試合に勝ったらおめでとうと言ってくれるけど、こちらこそみんなにおめでとうと言いたい。いつも一緒に戦ってくれてありがとう。」
“川崎の太陽”と呼ばれ、9年間を川崎フロンターレで戦い抜いた彼は、今、故郷サウバドールでサッカースクールの運営と指導を手がけている。その変わらない熱さと共に、フロンターレでの思い出と、中村憲剛について語ってくれた。 -
DATE: 2020-11-30 / Format: Text
特別インタビュー vol.02 アウグスト
アウグストが川崎フロンターレに刻み込んだのは、戦う姿勢、しかも、サポーターとクラブが共に戦い、共に乗り越えていくという、強いスピリットだと言われている。現在、ブラジル全国選手権1部の下位にあえぐゴイアスECの再建を担い、監督を引き受けた彼が、その厳しい戦いの中で、フロンターレ時代の思い出と、中村憲剛について振り返ってくれた。それも、心の底から楽しそうに、そして、幸せを噛みしめるように。
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DATE: 2020-11-28 / Format: Text
特別インタビュー vol.01 ジェシ
3年間でJ1通算56試合。その実績や、プレーによる貢献はもちろんのこと、“数字以上に、記憶に強く残る選手”というのが、サポーターにとってのジェシだ。誰に対しても真摯な姿勢で、笑顔を絶やさなかった彼は、今、故郷サンパウロで事業家として活躍しながら、家族と共に穏やかな暮らしを送っている。そんなジェシに、川崎フロンターレでの思い出と、引退する中村憲剛について語ってもらった。
Archivesケンゴ関連アーカイブ
今まで発表された記事を公式外も含め随時追加、ご紹介します。
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DATE: 2021-01-06 / Format: Video
「可能性を信じて」中村憲剛選手の思い
2019年から自身の名前を冠したサッカークリニックも始まった中村憲剛が、サッカー教室を通した、発達障がいの子どもたちの可能性と思いを語ります。
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DATE: 2020-12-26 / Format: Text
中村憲剛「敵を圧倒して勝ちたい」これからも受け継がれる14番の精神…“憲剛化”したフロンターレ
かつてイタリアに暮らす友人に、何気なくたずねたことがある。「この国で尊敬されるサッカー選手は、どんな選手?」非常に端的な答えが返ってきた。「ひとつのクラブに忠誠を尽くす選手だね」英国では、ひとつのクラブで現役をまっとうする選手を、畏敬の念を込めて“ワンクラブマン”と呼ぶ。だがユニフォームを変えるほど大金が動くいまは、世界的に希少となった。
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DATE: 2020-11-13 / Format: Text
三好康児、板倉滉、脇坂泰斗、田中碧…アカデミー出身者が語った中村憲剛「知らない世界を教えくれる」
これほど多くの人々に慕われるサッカー選手もいない。11月1日、今シーズン限りでの現役引退を発表した中村憲剛のことである。現役時代から歩みをともにする鬼木達監督が「可愛い後輩」と称すように、人懐っこいキャラクターは多くの先人たちに可愛がられた。チームメイトやクラブスタッフに止まらず、スタジアムに訪れるサポーター、スポンサー、商店街の人々、そして他クラブの選手、その誰もが背番号14のプレーと笑顔に勇気をもらってきた。
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DATE: 2020-11-02 / Format: Text
【引退】中村憲剛が「タイトルを獲れない最大の原因は自分」と悩んだ日 悔しさこそ原動力だった
Jリーグ史に名前を残す偉大な選手であるのは間違いない。Jリーグベストイレブン受賞は8度。2016年にはJリーグMVPに輝いた。翌年2017年はJリーグ初優勝、翌々年の2018年はリーグ連覇、そして昨年2019年はルヴァンカップを初制覇した。ここ4年は、毎年何かしらのタイトルを獲得し続けている。2020年も首位を独走し、優勝のカウントダウンも始まりつつある。
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DATE: 2020-12-26 / Format: Text
憲剛がいなかったら、フロンターレの発展は10年遅れていただろう【月刊ラモス】
クラブを愛し、クラブに愛され、そしてサポーターに愛された男が引退した。J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)の引退セレモニーが21日、等々力競技場(川崎市)で行われ、1万3000人のサポーターが詰めかけた。月刊ラモスのラモス瑠偉編集長(63)は「フロンターレ一筋18年、本当にご苦労さまでした。もし憲剛がいなかったら、フロンターレの発展は10年遅れていた」と最大限の賛辞を贈った。
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DATE: 2020-11-28 / Format: Text
試合に戻るという前例のないものに対するモチベーションが高くなった
2020年11月1日。今シーズンかぎりでの現役引退を表明した中村憲剛の表情は晴れやかだった。「いつかこの言葉(引退)を言う日が来ると思っていた。正直ホッとしているし、スッキリしている」40歳で現役を引退することは、5年前に決めていた。
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DATE: 2020-11-14 / Format: Text
「中村憲剛 神が宿る右足」(1)驚くべき「2010年4月」の2試合
小学生のころの写真を雑誌で見たが、これがサッカー小僧だという顔で笑い、サッカーが好きで好きでたまらないと全身が物語っていた。40歳になった中村憲剛は、そのプレーでサッカーは最高だと観客に訴えかけてくる。それが今シーズンで引退だなんて、寂しくてたまらないじゃないか。あの右足がもっと見たい。
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DATE: 2020-11-12 / Format: Text
ワインとシエスタとフットボールと〜引退発表当日…オシムが語った“サッカー選手・中村憲剛”「できることなら撤回してほしい」
イビチャ・オシムとは定期的に連絡を取り続けている。ここに掲載するのは、11月1日の電話による直近の会話である。この日は、オシムが日本代表メンバーとしても信頼を置いていた中村憲剛選手が引退を発表した日。オシムが語った“プロサッカー選手・中村憲剛”とは──?
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DATE: 2020-11-08 / Format: Text
“川崎の太陽”ジュニーニョ、引退発表の中村憲剛に贈るメッセージ「手助けできたのなら本当に幸せ」
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ジュニーニョ(元川崎、鹿島):特別編──9年間共闘した盟友に捧げる言葉
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DATE: 2020-11-02 / Format: Text
【セルジオ越後】中村憲剛のカッコよすぎる引き際!その引退は日本サッカーに大きな宿題を残すことになるよ
僕も憲剛の引退にびっくりさせられたひとりだ。彼の引退には「まだ早すぎる」とか、「まだまだプレーできる」といった、いろんな意見があるだろうけど、会見の言葉を聞いても分かる通り、彼なりに相当に強い意思を持って決断したのは間違いない。そういう芯の強さ、ブレない気持ちの強さが見えたし、そこもまた憲剛という選手の魅力のひとつだと僕は思っているんだ。
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DATE: 2020-11-02 / Format: Text
「タテパスの名手の怒声に育てられた自分」 川崎でコンビを組んだ鄭大世が語る中村憲剛
1日の15時に開催された引退会見と同じ時間に本拠地・デンカビッグスワンスタジアムで東京ヴェルディ戦に挑んでいたアルビレックス新潟の鄭大世もショックを受けた1人だ。2006~2010年にかけて川崎で中村憲剛とホットラインを形成した重戦車FWは偉大な先輩に捧げるゴールを叩き出した。
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DATE: 2020-11-02 / Format: Text
【引退発表】中村憲剛、川崎FをJ1の強豪クラブに押し上げた男 背番号「14」に隠された秘話
いつかはその日が来ると、頭では理解していた。理解していたつもりだった。しかし、実際にその日を迎えると、驚きに言葉を奪われた。川崎フロンターレの元日本代表MF中村憲剛が、11月1日午後に今シーズン限りでの現役引退を発表した。フロンターレひと筋のキャリアを築いてきた40歳は、表情に憂いや陰りを浮かべることもなく、胸のなかに抱えていた思いを爽やかに明かしていった。
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DATE: 2020-11-01 / Format: Text
「等々力に神様はいたな」大怪我からの帰還と2月のやりとり
11月1日、中村憲剛が現役引退を表明しました。前日の“多摩川クラシコ”では40歳の誕生日を祝うバースデーゴールを決めるなど健在ぶりを見せていたため、その発表は大きな驚きを与えました。今回は、大怪我から復帰した8月29日清水戦の記事を特別に再公開します(初出:2020年9月1日)
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DATE: 2019-04-27 / Format: Text
川崎フロンターレ・中村憲剛、中央大で考えて考えてはい上がった平成
平成の時代が終わり、令和の時代が始まります。いまこそ、平成の30年あまりの間に輝いた大学生アスリートに目を向けましょう。三人の方に取材した特集「平成に輝いた4years.」をお届けします。一人目は平成14年度に中央大学サッカー部の主将を務め、川崎フロンターレ一筋でプレーし続けている中村憲剛さん(38)です。
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DATE: 2017-12-15 / Format: Text
ピックアッププレイヤー 2017-vol.16 「継承」
中村憲剛とともに優勝することはクラブの悲願だった。そのことに込められた意味や価値は、クラブの歴史21年が継承されていくためにも深いものがあった。どうしても必要なことで、どうしても欲しかったものだった。
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DATE: 2016-3-1 / Format: Text
ピックアッププレイヤー 2016-vol.03 “CHALLENGE THE FUTURE”
創立20周年を迎えたクラブの歴史のなかで、14年目と最長の在籍年数を誇る中村憲剛。 プロとしてのキャリアをフロンターレでスタートさせ、同じ成長曲線を描きながらともに歩みを進めてきた。 世間からはベテランと呼ばれる域に入っているが、サッカーへの熱意はもちろん、 自分を育ててくれたクラブへの思いは誰にも負けないという自負がある。
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DATE: 2015-1-1 / Format: Text
ピックアッププレイヤー 2017-vol.01 「リベンジ」
2014年12月6日、Jリーグディビジョン1第34節が午後3時30分に同時キックオフされた時、中村憲剛は川崎市内の病院に入院していた。2003年に川崎フロンターレに入団してから、最終節をスタジアム以外の場所で迎えるのは初めてだった。 タブレットのJリーグオンデマンドで神戸と戦うチームを応援し、5試合ぶりの勝利を見届けた。その時、病室のテレビはガンバ大阪が優勝した場面を流していた。
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DATE: 2013-01-01 / Format: Text
ピックアッププレイヤー 2013-vol.01 “Message 2012 to 2013”
中村憲剛とともに優勝することはクラブの悲願だった。そのことに込められた意味や価値は、クラブの歴史21年が継承されていくためにも深いものがあった。どうしても必要なことで、どうしても欲しかったものだった。
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DATE: 2011-12-16 / Format: Text
ジュニーニョ選手退団 送別会
いつでもチームを明るく照らしてくれるまばゆいばかりのファンタジスタ、FW10番ジュニーニョ選手。サポーターから「川崎の太陽」と親しまれたエース「ジュニ」は、J2とJ1の両方で得点王の栄冠に輝き、川崎FのJ1昇格とその後の快進撃の原動力ともなった。9年間川崎でチームメイトして過ごした中村憲剛もジュニへの想いを語る。
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DATE: 2010-05-01 / Format: Text
2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会 代表選出会見
世界への切符が川崎に4枚。J1昇格から6年、ついに川崎フロンターレからワールドカップに招集される選手たちが現れる。「日本代表で川崎代表」一般の観覧も含めた記者会見と壮行会の模様をレポートする。