子どもたちの夢となりたい──。
そんな思いを抱きながらサッカーで自分を表現する鄭容臺。
ヨンデの歩んできた道とサッカーに賭ける思いとは?
鄭容臺は、在日三世として姉ふたり、兄ひとりの4人兄弟の末っ子として愛知県名古屋市に生まれ育った。子どもの頃の記憶は、公園で遊んだり駄菓子屋に自転車でいったりとヤンチャに過ごしたこと。その思い出は年齢があがるにつれ、サッカー一色へと変わっていった。その頃の夢は、かつて「幻の強豪」と謳われた「在日朝鮮蹴球団」に入ることだった。
「子どもの頃は、なにやるにも先頭きって遊んでましたね。でも、サッカー部はけっこう練習が厳しかったですから、中学、高校になると練習の思い出がほとんど。当時は、Jリーグはまだ遠く感じていたし、より身近な目標として『在日朝鮮蹴球団』に憧れてました。在日のうまいやつが入るというエリート集団の位置づけでしたから。全国各地の親善試合で日本の強いチームにも勝ってるのをみてきたし、入りたいなぁと目標にしてました」
大学進学時は、日本の大学も選択肢として考えたが、後のヨンデにとって恩師となる金監督との出会いもあり兄弟と同じく朝鮮大学校に進学する。大学3年のときにはオランダに短期留学を経験し、充実した4年間を送ったヨンデは、具体的に“プロ”への道を考えるようになった。
「僕は結局、大学までずっと民族学校に通っていたんですけど、全国からうまいやつが集まってくるなかでもレギュラーとして試合に出ていたので、もっと上をめざしたくなった、というのはあります。在日の社会ではある程度認められたわけだから、次は日本の社会で試したいって。でも、もし日本の強い高校でサッカーをやっていたりしたら、たぶん挫折していたと思うんですよ。いくらでもうまい選手がいますからね。日本の社会にくらべたら在日の社会は狭いわけですから。ある意味、『自分はやれる』っていう“勘違い”が自分にとって、その後いい方向に転んだんです」
Jリーグへの扉を開くことを考えたとき、日本の高等学校以上の教育を受けた者でないとJリーグの規定で登録上、外国籍選手となり出場機会に恵まれにくくなる。そのため、ヨンデは大学卒業後、金監督の奨めで「在日枠」の資格を得るため通信教育課程で日本の高校卒業の資格を取ることにした。同時に、青梅FCに加入。ヨンデにとってはじめての日本社会との接点となり、新たなスタートとなった。
「すごいみんな自然に受け入れてくれたんで、溶け込めることができた。周りがとてもよくしてくれて、自分が意識しすぎていたのかなぁと感じましたね」
その半年後には、Kリーグ・浦項スティラーズに加入し、試合にも出場する。めまぐるしく環境が変わりながら、夢に着実に近づいていった。
「韓国行きは、遠回りかもしれないけど、でも、それが逆に近道になるかもしれないと思って自分がどれだけやれるのか試す意味で挑戦しました。でも、言葉を知っているといっても、どこか日本的な発音になってるんですね。自分が伝えたいことを理解してもらえなかったり、早く話されると聞き取れなかったりしたときに、『あぁ、自分は何人なんだろう』って壁にぶるかることもありました。サッカーも日本とはまるっきりスタイルが違うことにもギャップを感じて、最初の3ヵ月はほんと苦労しましたね。生活も大変だったし、休みの日はやることないし、ストレス溜まるしで、コンディションもあがらなくてサッカーどころじゃなかった。でも、やっぱり3ヵ月も経ってくるとチームメイトも受け入れてくれるようになるんですね。青梅のときもそうだったけど、誰かが寄ってきてくれて、それをきっかけに輪が広がりました」
そして、韓国に渡ってから1年半が経った2001年、名古屋グランパスエイトへの加入が決まった。
ヨンデの経歴や辿ってきた道筋を振り返ったときに、自分を信じる力があったからこそ、いまがあるのだろうと感じる。その思いの根にあるものはなんだろうか?
「“揺ぎないもの”ですよね。やっぱり、家族の支えがあったからですね。学校とかお金がかかるなかでなにも言わずに協力してくれたし、プロになってからもへこむ時期もありましたけど、一番理解してくれていたのが家族ですよね。家族の応援に応えたいっていう自分のなかの気持ちはもち続けています。やっぱり自分が返せることといったら、試合に出て自分が活躍する姿をみせるってことしかできないんで。あとは…」
さらに、ヨンデのなかに膨らむ大きな気持ちがある。
「在日のJリーガーは少なからずもっていると思いますけど、在日の子どもたちに夢を与えたいんです。サッカーに限らず、日本の社会でもちゃんと通じるんだってことを。もちろん、僕みたいにポジティブに考える人間ばかりではないことはわかってます。でも、自分たちが頑張ることによって証明していきたい。それに、僕たちが活躍すれば、Jリーグのスカウティングも朝鮮学校の選手に目がいくようになって、さらに道を開くことにつながる。そういうプレッシャーを勝手に感じて、いい意味で自分のモチベーションにしているんですよ」
「意識することなく、自然体に」
それが、ヨンデのスタイルだ。今季、フロンターレに加入したヨンデは本来ボランチの選手だが、寺田の負傷により突然のリベロでの出場だったにもかかわらず、安定したプレーをみせた。
「全然緊張もしなかったですし、ごく自然にプレーできました。気持ちを乗せてプレーすると最高のパフォーマンスが出せると思っているので。いつもそうなんですけど、あまり先のことは考えずに目の前のことをひとつひとつクリアすることで終わったあとになにかが得られるんじゃないかと思っているんです。だから、シーズンが終了したときに試合に多く出ていたら、そのときになにかがあるんじゃないかっていうイメージをもってやっています。けっこうね、楽観的なんですよ。『お前みたいな選手が一番息が長そうだ』って同級生によく言われますから」と、顔をくしゃっとさせて笑顔を作った。