2009/vol.10
ピックアッププレイヤー:GK1/Kawashima,Eiji
川島永嗣がフロンターレに移籍しておよそ2年半。
チームは年々戦闘力を身に付け、
ステップアップを果たしつつある。
チームを最後尾から見てきた守護神はその成長にどのように関わってきたのだろうか。
ピッチ外での準備
多摩川クラシコでの大逆転劇が遠く記憶の彼方に追いやられた6月20日。およそ1ヶ月の中断期を経た第14節の大分戦からリーグ戦が再開する。タイトルを目指すフロンターレにとって負けられない試合となったが、試合開始早々に大きなピンチを迎える。相手選手がラインの裏に抜け出して1対1の局面を作ったのである。ファインセーブで窮地を救った川島永嗣のプレーによってチームは落ち着きを取り戻し、2-0の快勝につなげた。約一ヶ月を過ごした日本代表では出場機会を与えられなかった川島がチームを救う事となった。
「代表に居た1ヶ月くらいの間でも常に自分の心の中は整理されていました。だから帰ってきて実際に自分が試合に出るとなった時も気負いはなかったし、コンディションもしっかりと整えていました。いろんな事が自分の頭の中では冷静で、そうした状態の中で試合に入れたのが大きかったのかもしれません」
サッカー選手に話を聞くと、よくこんな言葉が帰ってくる。
「いつ呼ばれてもいいように、いい準備をしておきたいと思います」
それを川島は代表合宿中に心がけていたのだという。
「試合に出ていない中でも自分の中でなんていうんですかね。次の試合ではこうしようと、とかこういうときにはこうしようかなと考えた事とかを、うまく試合に持っていけたという感じです」
一ヶ月のブランクは試合勘を鈍らせてもおかしくはない時間である。それでも的確なプレーをして見せたのは、しっかりとした準備が出来ていたからだ。そしてそれはこれまで経験してきた控えGKとしての日々が生きていたのである。今でこそフロンターレの不動のレギュラーとしてゴールを守る川島にもベンチを暖めるシーズンがあった。プロでのキャリアをスタートさせた大宮時代はもちろん、請われて移籍した名古屋時代もそうだった。現日本代表の正GKである楢崎正剛の控えとしてベンチを暖める日々は3シーズンに及んだがその経験も川島にとっては無駄ではなかったのだという。
「名古屋のときに試合に出ていなかったことが経験にならないかというと、ボクの中では試合に出ていない中でもやりたい事はあったし技術的にチャレンジしたい事もありましたから」
そしてその経験が今の代表で置かれた立場の中でも生きているのである。そうやって前向きに、臨場感を持って、試合をイメージし続けてきた事が約1ヶ月のブランクを経て合流したフロンターレの試合でも活かされたのである。経験は継続しているという事だろう。
乗り越えるべき壁
そんな川島がフロンターレの一員となったのは07年シーズンから。もちろんポジションの保証があったわけではないが、確たるプレーのイメージを持ってチームへと合流したのだという。川島は事前にフロンターレの映像を入手していたという。
「ボクが来る前の年に55失点しているのは頭に入れていましたし、失点も全部見返してどういう失点だったのか。どうやれば減らせるのか考えていました」
そうして迎えた07年は刺激的なシーズンとなる。クラブとして初めて「タイトル奪取」を目標に掲げてシーズンを迎え、ACLへと参戦。ナビスコ杯ではクラブ史上2度目の決勝の舞台を経験し、天皇杯でも準決勝にまで進出した。
「すごく新鮮でした。今まではクラブレベルでの国際大会に出る経験がなかったですし、いろいろと新鮮でした。J1で1シーズンを通して試合に出るということもあの年が初めてでしたから、ホントに一試合一試合、がむしゃらというか、なんというんですかね。取り組んでいました」
しかし、リーグ戦も含めたすべての挑戦でタイトルを手にする事は出来なかった。
「悔しい結果でしたし、自分も含め一番上に立つには足りない何かがあったから立てなかったのかなとは感じました。あと一歩というところを乗り越える事が自分にとってもチームにとっても明確な課題になったのかなと思います」
そしてその乗り越えるべきあと一歩の壁とはなんだったのか。川島は対戦相手との戦いの中でそれを感じ取ろうとしていた。
「ナビスコ杯の時のガンバもそうですし、天皇杯の時の鹿島もそうですね。セパハンとのACLもそうかな。相手のやろうとしていた事に、サッカーに、結局は自分たちが支配されていた部分があったと思います。そういう場面でいかに自分たちが主導権を握れるのか。もちろん自分たちが勢いを持ってやれているときはいいんですが、そうじゃないときにどういうサッカーをするのか、とか。そういう部分に関してはやっぱり試合巧者じゃなかったと思っています」
そうやって実戦の中で胸に刻みつけた教訓が、今になって表現できつつあるのだとも話す。たとえば先日行われたACLのG大阪戦や、リーグ戦でのG大阪戦での勝利はまさに試合巧者と言える内容だった。
「みんなでそう考えた事をやりましょうかって言って、じゃあ次の試合でできる事ではない。もちろん今もまだまだ完全にそれが出来ているのかというともっとやらなければならないところはあると思うけど、いまそういう部分(試合巧者と呼べる試合運び)が自分たちのチームに出てきているという点については、ACLで負けたり、ナビスコ杯の決勝で負けたりという悔しい結果を受け止めた事が今につながっているのかなと思います」
そしてこの境地に到達するには、ピッチ外の苦しみを乗り越えた経験も役に立っていた。08年。捲土重来を期して臨んだシーズンでチームは序盤からチーム編成で混乱。さらには健康上の問題もあって関塚監督が辞任するという状況に追い込まれた。普通であれば壊れてもおかしくないチーム状態だったが、そこでフロンターレは現場が一体となって踏みとどまり、リーグ戦での2位という成果を残す。
「結果以上にチームとしては苦しんだ一年だったと思います。セキさんの事もあったし、フッキの事もありましたし。結果的に2位の位置には居ましたが、そこにたどり着くまではかなり険しいシーズンでした。
正直な話、セキさんが居なくなった時にはチームとして崩れてもおかしくない状態だったと思いますが、そこをうまくツトさんがまとめてくれたと思います。もちろん選手自身もチームのために自覚を持っていたからこそ乗り切れたと思います。それが2位という結果につながったんだと思います」
選手個々が自覚を持ち、チームとしての一体感を維持する。当たり前の事なのだがそう簡単な事でもない。そしてそれはおそらくは試合中にそれぞれの選手に与えられたポジションごとの役割に通じるものもあるのだろうと思う。中断期明けの数試合、フロンターレは先発メンバーを大胆に入れ替え、結果を残している。それは各ポジションごとに与えられた役割を選手が自覚し理解しているから。もちろん、そうした中でも最終ラインの選手の入れ替わりはGKにとっては簡単には解決できないコミュニケーション上の問題につながる事が少なくない。ただ、川島はそうなったとしても、大きな問題ではないのだという。
「チームとしてのベースがありますからね。誰がそのポジションに入ってもこういう役割なんだ、というのは普段の練習やミーティングからやっているので、誰が出ても出来るというのはあると思います。実際に試合になると声が聞こえないときの方が多いし、練習の中でも練習内容によっては全然DFと関われないときもある。でも自分が言う事が常に正しいとは思わないですからお互いに話し合うことが大事なんだと思っています」
そうやってチームメイトとの話し合いの中から正解を見つけようとする姿勢があるから、フロンターレは柔軟にシステムを組み替えられるのだろう。もちろん選手が自分だけの事を考えるのではなく、お互いのよさを引き出しあうというフロンターレのチームカラーも関係しているのだろう。互いに認め合うという点に関連するのだが、川島と話していておもしろいと思う受け答えがある。ファインセーブした場面について質問すると、往々にして自分の手柄はそっちのけでコースを切ってくれたディフェンダーの存在を口にするのである。
「もちろん最後の最後で守らなければならないのは自分だと思うし、それで最後守れれば一番いいと思います。その時にディフェンスががんばってくれてれば、自分も止められる可能性が増える。どうしてもうちのチームは攻撃的だから守備の面で難しい部分は本当にあるんですが、でもそれでも全員でそういう問題も乗り切れれば、それに越した事はないと思う。そんな中で失点が減ったとして自分だけのおかげだとは思わないんですね。それこそFWが守備をしてくれているから守れたという事だってある。だからしっかりディフェンスが体を張ってくれてたらぼくはそこにもちゃんと、目線を持っていくべきじゃないかと思うんです」
世の中には真っ先に自らの手柄を主張する選手も居るが、自分の事はそっちのけでチームメイトにも気を配るのである。そしてそれは川島なりの試合に対する考えがあっての受け答えでもある。
「止める事はいい事だしチームにもプラスになる。そして何よりも結果にもつながるんですが、ただ、一つ止める事で俺がチームを救ってやったと思うというよりは、また次に止めるために気持ちを切り替えたいという考え方の方が強いんです」
つまり過去の栄光に浸る事を意識的に拒絶しているのである。過去の自らのファインプレーに浸る事を「そんな事を考えていても仕方ない」と言う川島は、そんな事で悦に浸る暇があるなら「次の試合でどうやって止めるのかという事に頭を切り替えた方がいい」のだと言い切る。自らの人生を自らの力で切り開いてきた男が持つ力強さなのだろう。そうやって前を向き続けてきた川島がらしさを見せたのが失点についての目標である。
「自分の中では自分が入った事で確実に失点を減らしたいという事は常にあるし、もちろん自分の力だけで防げない失点もある。ですからディフェンスだったりチームとしての連携を含めてシーズンごとに失点を減らしたいと思ってやっています」と話すその言葉どおり、実際にフロンターレは07年に48失点。監督交代などを経験した08年にも42失点と着実に失点を減らしてきている。7月5日時点のフロンターレはリーグ戦では16試合を消化して16失点。1試合1失点のペースでシーズンを進めてきており、年間の目標としても34失点を目指してもおかしくはない。ただ、そこで川島は足元を見るべきだと話すのである。
「実際にシーズン前にほかの選手と話したときに1試合1失点を目指したいとは話しましたが、この2年間で失点を減らすという事がかなりパワーがいる作業だったんです。現時点で失点が少ないからといってこの先どうなるかわからないところもある。ですから1試合ごとの中で、どれだけ自分の仕事が出来るのか、という事に意識を集中して行きたいと思っています。
ですからまずは失点を30台に押さえたいというのが第一段階。そこを見据えつつ、それを上回る形で結果を残したいですね。ただ、大事なのは目の前の試合の中でしっかりと自分のプレーを出すということ。目標にとらわれすぎないようにもしたいと思っています」
そう語る川島が失点にこだわりすぎてはならないと話すもう一つの理由が「自分たちらしいサッカー」というスタイルである。
「(失点数をかなり低い水準で抑える事が出来るとしても試合は)面白くないと思うし、フロンターレらしくもないと思う。うちのよさは攻撃力だと思うし、それをしっかりと生かしてあげられるような、後ろでいたいなと思います」と話すのである。失点数というのはGKをはじめとする守備陣にとっての一年の成績表のようなものである。そのチームを理解するときに一番わかりやすい指標となるのだが、それが多少悪くなったとしても「サッカーとしての面白さ」を優先しようとするあたり、サポーターの事も念頭に入れている事がよくわかる。「自分だけ」でないところに川島のよさが見えている。
1年という時間が持つ重み
川島にインタビューするのはこれが2回目。始めて出会ったのは大宮での初年度の事だった。そのときの川島は高校を卒業したばかりの選手とは思えないような理路整然さを持っており、堂々と受け答えをしていた。そして言葉の端々にギラギラとした感情を発散させて試合を欲していた。そんな昔話をしつつ、今は落ち着きが出てきたのでは? と問いかけると、苦笑いを浮かべながら「でもボク、代表の時はギラギラしてないですか?」と逆に質問されてしまった。そして「それがなくなったら選手は終わりじゃないですか」と話すのである。
川島はフロンターレでは不動の正GKとしてサポーターに安心感を与える存在で居続けている。ただ、その居場所に安住するのではなく与えられた立場の中で最善を尽くそうとする姿勢は持ち続けているのである。
日本が出場権を獲得した南アフリカW杯まであと1年。川島はそのピッチに立つ可能性を持っている。だからこそ、この1年のプレーが重要になる。名古屋時代のチームメイトで、昨季プレーしたオランダ2部リーグのMVPを獲得した本田圭佑は1年間という期間を「1年もある」と話していた。その話を川島に投げかけると「本田の『も』という言葉は、本田がオランダの2部であっても実際に海外の選手と対戦したそういう経験をしたから言えるんだと思う。ただ、Jリーグの中でも考え方次第で成長は出来ると思います。一日一日の経験の中で、自分が一つの経験から、二つも三つも学んで行く事が自分にとっては大事なのかなと感じています」と貪欲さをみせつつ「ファン・デルサールが38歳で最前線でやっているのを見ると、年齢的に可能性はまだまだあると思うし、キャパシティ的にも経験をしていけばまだまだ広げられるポジションだと思います。そういう意味では限界は全然決めてないです」と自分の可能性を語ってくれた。
強い信念と、日常の一つの経験からいくつもの教訓を学び取ろうとする貪欲さ。そうした日々の積み重ねが今の川島を作っている。そう考えるとこれから川島が経験を積んでいくその先でどんな姿を見せてくれるのか、楽しみで仕方ない。「可能性を広げられるように自分が努力し続けたい」と話す川島は「一つといわず、全部取りに行くつもりで」とタイトルへの思いを口にしていた。クラブの悲願でもある初タイトル獲得なるか? そしてその先にある来年のW杯南ア大会にも期待したいと思う。
profile
[かわしま・えいじ]
抜群の身体能力と反射神経でゴールに鍵をかける不動の守護神。強烈で正確なロングフィードは、攻撃面でも威力を発揮する。今年で在籍3シーズン目。中心選手としての自覚も出てきた。日本代表メンバーにも定着し、次世代のレギュラーの座を狙う。
>詳細プロフィール