2011/vol.12
ピックアッププレイヤー:MF30/大島僚太選手
高卒1年目ながら公式戦出場を果たし、基本技術の高さと順応性を発揮している期待の新人、大島僚太。
プロのスカウトが注目しはじめたのはちょうど1年前の夏、高円宮杯全日本ユースと遅かったが、 短期間で一気に頭角を現し、一度きりのプロ入りのチャンスを見事につかみ取った。
普段は控えめな性格で、表情にはまだあどけなさが残るが、ひとたびピッチに入れば一流プレーヤーの顔つきへと変わる。技術、スピード、運動量を兼ね備えた万能型ミッドフィールダーは、シンデレラボーイという表現では片づけられない無限の可能性を秘めている。
「幼稚園のときに徒競走で負けちゃって悔し泣きをしてしまい、次の演技ができなかったっていうビデオがあったんですよ。自分ではよく憶えていないんですけど、負けず嫌いなのは昔からだったみたいです」
サッカーどころの静岡県静岡市で生まれた大島だが、両親からは野球を勧められ、小学校のコーチからも野球をやらないかといわれていたそうだ。だが年の離れた兄やいとこのお姉さんのボールを蹴る姿を見て、サッカーの道を選んだ。小学校の少年団は強豪とはいえなかったものの、4年生に選抜チームの清水FCのセレクションに合格。そして小学校高学年のときに静岡学園中等部と対戦し、「自分も静学でサッカーをやってみたい」と感じたという。
「当時の印象であって実際はどうだったかわからないのですが、中学生が相手でしたけど背の低い人が多くて、それでも技術のしっかりしたサッカーをやっていました。いま考えてみると、自分も身長が低かったのでここでやっていけるんじゃないかって考えてたのかもしれません。でもテストを受けたときは、これは無理かなと思っていました。周りはうまい選手ばかりでしたし、自分は何も特徴を持っていなかったので」
周りと比べると自分は下手な方だったと本人は話す。ただ、負けたくない気持ちだけは人一倍持っていた。その気持ちを表に出すことはなかったが、一心不乱にボールを蹴り続けたそうだ。名門サッカー部に入学し一切妥協が許されないなかで、大島は地道にトレーニングを積み重ねていった。
「最初に試合に出たのは中体連の予選でした。なぜか3バックの右で試合に出たんですよ。背が高い人がディフェンスをやるって話だったんですけどね。でも県の準決勝の前日練習でボランチの人がいなくて、そこから中盤でプレーするようになりました」
プロサッカー選手になりたいという思いを一番強く持っていたのは小学性の頃だったかもしれない、と当時をふり返る。静岡学園に入ってからは周りのレベルの高さを痛感し、夢どころではなく目の前のボールを追いかけることに必死だった。高校に上がりセレクションのメンバーが加わったことでさらにレベルの高い競争になったが、高校1年生のルーキーリーグでは先発出場を果たした。
「自分は上を見るというよりは、目の前のハードルを一個ずつクリアしていくタイプ。好きな選手ははっきりとはいなかったんですが、高2ぐらいになってデコ(元ポルトガル代表)うまいなぁみたいな感じでテレビで観てました。デコのように、派手さはないけどいろんなところで効果的なプレーができる選手になりたいです。やっぱり自分のプレースタイルに近い選手が気になりますね。ロナウジーニョとかはもう次元が違いすぎて、真似すらできないですから」
静学出身者らしいテクニシャンというふれこみの大島だが、現在のプレースタイルの源は地道な走り込みだったそうだ。とくに中学時代は1時間ひたすらドリブル練習、そのあとに紅白戦を行い、そこから急勾配の山道の登り下りといったハードトレーニングが課せられていた。
「プロになって試合で走れているかどうかはわからないですけど、いまのサッカーに運動量が必要なのは間違いないので、中学高校の6年間すべてがかけがえのない経験でした。じつは当時、高校でサッカーを辞めようかなと考えていました。その理由は、静学で燃え尽きるぐらいまでサッカーに打ち込むつもりでいたから。大学でサッカーをやる余裕がないぐらいまで自分を追い込もうという気持ちだったんです。だから、もし大学進学ということになったらサッカーは終わりにしようと考えていました」
高校2年生になっても控えに回ることが多く、レギュラーの選手が怪我をしたときぐらいしか出番が回ってこなかった。3年生に入ってもインターハイ前に怪我を負い、1試合も出場することができず。レギュラーとして全国大会に出場したのは高円宮全日本ユースがはじめてだった。だがその舞台で、大島はこれまで眠っていた才能を一気に開花させる。1次リーグではMF柴崎岳(現鹿島)やGK櫛引政敏(現清水)ら将来有望な選手がいる青森山田高等学校を下し、決勝ラウンドに進出。トーナメントでは名古屋グランパスU-18や横浜F・マリノスユースを撃破し、ベスト4入りを果たした。だがこの時点では、大島にプロのクラブから声はかかっていない。川崎フロンターレ・スカウト担当の向島建氏は、学生時代の大島のことをこう語っている。
「すごく真面目な性格で走れる選手というのは聞いていましたが、中学高校とそれほど目立つ存在ではなく、静岡で一番という評判の選手ではありませんでした。でも中学で二番手、三番手だった選手が高校で一気に伸びるケースがあります。それが高3の数ヶ月で頭角を現したリョウタでした。リョウタは怪我もあって2年生のときも試合に出ているイメージはありませんでしたし、3年になってからもプロのスカウトからそこまで注目されていなくて、いわばノーマークの選手だったんです。ただ静学の10番は関係者の間では噂に上っていて、いい選手だという話は聞いていました。そして高円宮の準決勝、サンフレッチェ広島戦で自分の母校でもある静学の試合を応援がてら観にいって、すごいプレーをする選手を目の当たりにしました。静学がチームとしてまとまっていたのもありましたが、そのなかでもリョウタの存在はひときわ輝いていましたね。そのときうちは来年5人の新人を獲得することが決まっていて、これ以上獲らない方針でしたが、大島のような選手はめったに出てこないと感じたので、トップチームに見てもらうことを決めました」
大島はこの時期としては異例のケースでフロンターレの練習に初参加。そして10月25日、ザスパ草津との練習試合でプレーすることになった。この1日が大島のサッカー人生を大きく変えることになる。
「高円宮杯が終わって選手権予選がはじまるぐらいのときに監督から練習参加してみるかと監督にいわれて、やりますと答えました。でもプロが決まるかどうかという試合とは意識していなかったです。自分としては、とにかく楽しんでやろうと思っていました。練習試合中ではポジションが近かった周平さん(現トップチームコーチ)や谷口さん(現横浜FM)から「自由にやっていいから」と声をかけられて、のびのびやることができました。ソノさん(薗田)とか静岡出身の知ってる選手もいましたし、チーム全体の雰囲気もよくてみんなやさしかったです」
この練習試合には強化部やスカウト陣が揃い、練習グラウンドの外から大島の動きをこと細かにチェックしていた。だが当の本人は緊張した様子を見せることなく、まったく一緒にプレーしたことがない選手のなかで積極的にドリブルをしかけてゴールに向かっていった。筆者もその試合を観ていたが、プロの選手に対して萎縮することなく堂々と勝負を挑んでいった姿が印象に残っている。
「緊張したというよりは楽しめたなって感じでした。堅くならずにおもいっきりやればいいやと思っていたので。いわれてみると確かにドリブルばっかりしていましたね。高校では後ろで1人かわしてポンポン回すような役割だったんですけど、なぜかあの日はゴールを目指していたんです」
大島はプレーでトップチームの関係者を納得させた。強化部の人間だけではなく、一緒にプレーした選手たちの間でも評判は上々だったそうだ。強化部はその日のうちに大島を獲得する方向で話を進めることを決めたという。
「ぎりぎり間に合いました。いままで埋もれていたのは不思議なぐらいで、スカウトとしては絶対に獲るべき選手だと思っていました。技術とインテリジェンス、逆をとる発想、ボールをつけるところ、そしてスルーパスの狙い。技術があるから選択肢が多く、考えたプレーができる。(中村)ケンゴとはタイプが少し違いますが、彼のような存在になれるだけの才能を秘めた選手です。控えめな性格ではありましたが、闘志を胸に秘めるタイプです。さわやかな好青年ですし、人間的にも好感が持てる。フロンターレのチームカラーにも合った選手だと思っていました」(向島スカウト)
練習参加を終えて静岡に戻り数日後。サッカー部の監督と部長に呼ばれ、川崎フロンターレが大島を獲得する意思があることを告げられた。すでに大学進学が決まりかけていた時期だったが、本人はその場で「挑戦してみたい」と答えた。
「正直なところ、現実的にプロにいけるとは思っていませんでした。練習試合から帰るときに静岡の記者の人と一緒だったんですけど、そのときも『楽しめたのでよかったです』みたいな話をしたと思います。だから最初に話を聞かされたとき、『うわ、マジかよ』っていうのが正直な感想でした」
10月の終わりにプロ入りが決まり、11月11日には静岡市内で記者会見が行われた。約2週間で大島の周囲は一気に慌ただしくなっていった。その変化についていくのに一番戸惑っていたのは、じつは本人だったのかもしれない。
「練習に向かう姿勢は変わってなかったと思うんですけど、自分としては高校で燃え尽きる気持ちでやっていたので、プロ入りが決まった直後は自分の気持ちに少し緩みが出たと思います。だけどこうしてせっかくチャンスをもらったんだから、もう一度がんばろう、もう一度気持ちを入れ直そうと思えるようになりました」
年明けにフロンターレの独身寮に入寮し、プロの一員としての生活がスタートした。入った当初は人見知りの性格からなかなかチームに馴染めなかったが、ボールを使ったコミュニケーションならお手のものだった。シーズンがはじまり2、3ヶ月たった頃には、すっかりチームのスタイルを理解し、ポジショニングにも気を遣えるようになっていた。
「高校時代は走ってばかりできつかったですけど、プロの総合的な質の高さは想像していた以上のレベルでした。グラウンド状態が悪いときでもほとんどミスがない。技術面に関しては自分もいちおう自信を持って入ったんですけど、それ以上にみんなすごかった。チームのやり方は少しずつ憶えていった感じです。監督の指示が一貫しているし、やることが徹底しているから、理解するのも早かったと思います」
最初は1年目から試合に出ることが目標だった。そのハードルはすでにクリアしている。だが「試合に出ているだけじゃ今後生き残れない。ゴールという結果を残せるようにしないと。今年のうちにまず1点決めたい」と気を引き締める。高卒1年目の選手がコンスタントにメンバーに入るには、本人の能力は当然だが、チーム事情やタイミングも関わってくる。フロンターレの中盤にはお手本になるような選手がたくさんいる。伸び盛りの若手にとっては非常にいい環境だろう。
「自分が試合に出させてもらっているのは怪我人が出ているチーム状況だからということはありますが、公式戦のピッチに立つことで技術以前に判断の速さが必要なことに気づかされました。高校生の頃はボールを止めて、見て、そこから出しても相手のプレッシャーは感じませんでしたが、いまは止めてから考えてたらディフェンダーに食いつかれてしまう。つね日頃から周りを見ておくといったことは先輩たちから指摘してもらえているので、そこを意識しておけばよくなっていくと思います。ケンゴさんからいわれているのは、一番遠くを見ること。FWにボールを当てるときでも、最初からその選手を見てパスを出したら読まれてしまう。だったら一番遠くを見ておけば間接視野みたいな感じで自然と近い人が入ってくるから、そこで出せないと思ったら近くの人に出せばいいという話を聞きました。なるほどって感じですよね。でも意識していても、ケンゴさんと同じように出すことってなかなかできないんですけど」
早生まれの大島はU-18日本代表に招集されており、2013年のFIFAワールドカップU-20トルコ大会や、その先の2016年ブラジル五輪での活躍も期待されている。高校時代はボランチが正ポジションだったが、フロンターレやU-18日本代表ではサイドハーフでプレーする機会も多い。現段階では慣れ親しんだボランチの方が持ち味を出せると本人は話すが、技術だけではなく運動量やスピードも兼ね備えた大島ならば、経験を積めばどのポジションでも相手に脅威を与えられる選手に成長できるはずだ。
「ボランチはどこからでも相手がくる代わりに360度動けるので、こっちからくるということはこっち側は空いてるとか、自由に考えられるのが魅力です。最近はもっと頭を使わないといけないと思っていて、味方のポジションを見たり、いまは攻撃なのか守備なのかを考えながらプレーするようにしています。試合の流れを読むといったことはまだできないですけど、練習試合でよく一緒にプレーするタサさん(田坂)なんかは余裕があって、いまはちゃんとつなごう、いまはシンプルにといったアドバイスをくれるので、すごく勉強になっています。そういったことを自分で考えてできるようにしたい。いわれてから気づくんじゃなくて、自分で感じて動けるようになれれば、もっといい選手になれるんじゃないかなって」
チームメイトに大島選手のことを聞いてみると、「足下の技術は抜群でしょ。チーム内でもうまい方に入ると思う」(田坂祐介)、「高卒1年目の選手とは思えない。自分が18歳のとき、あそこまでの技術はなかったと思う」(柴崎晃誠)という声が聞かれるように、技術面に関してはすでに高卒ルーキーという扱いではない。ここからさらにボールのないところでの動き、対戦相手との駆け引きや流れを読む力を身につければ、早い段階でレギュラー争いに食い込んでいけるのではないだろうか。
「自分は派手なプレーをして目立つ選手というよりも、『効いている』選手になりたい。最初はここにボールがあるからここにいようという感じで、周りの状況があまり見えていませんでした。ボール中心ですべてを考えてたんですね。でも相馬監督にもっと全体を見ながらポジショニングを修正した方がいいといわれ、そこから味方の選手を見てプレーすることを意識しています」
フロンターレに入り半年以上の月日がたった。生活をかけて日々トレーニングに励んでいる先輩たちの背中を見て、大島もプロの厳しさを学んでいる。自分はまだ甘い部分が多いと話すが、ピッチに立てば随所で効果的なプレーを出せるようになってきた。「まずは1試合でも多くフロンターレでの試合に絡み、数少ないチャンスをものにする。あまり考えすぎず、どん欲にチャレンジしていきたい」と目を輝かせる。
未完成な部分はまだまだ多い。だからこそ、その才能が成熟の域を迎えたときの姿を想像せずにはいられない。大島のサッカー人生は再び開けた。その道を切り開いていけるかどうかは、本人のこれからの努力次第だ。
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[おおしま・りょうた]
静岡学園高校から新加入。巧みなドリブル突破と局面を打開するパスが武器のテクニシャンタイプのMF。高円宮杯全日本ユースでの活躍が認められ、フロンターレ入団の運びとなった。プロ1年目は体作りに励みながらテクニックに磨きをかける。1993年1月23日/静岡県静岡市生まれ。 >詳細プロフィール