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vol.12

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MF23/Noborizato,Kyohei

クサらず、焦らず、コツコツと

登里享平 MF23/Noborizato,Kyohei

テキスト/江藤高志 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Eto,Takashi photo by Ohori,Suguru (Official)

ケガのため、長らく戦線から離脱していた小宮山尊信が、復帰後初めてAチームの左サイドバックとして紅白戦を戦った8月2日の練習でのこと。
ノボリは、彼自身がつかみとり、守り続けてきたポジションを一つ前に移し左サイドハーフとしてプレーした。
左サイドのこの組み合わせは10分あったかどうかという短いもの。ただ、小宮山の左サイドバック復帰は、
ノボリにとってポジション争いの激化を意味する出来事でもあった。

 ノボリの複雑であろう心境を思いつつ二人の様子を見ていると彼らは意外な行動を取った。新旧二人の左サイドバックはお互いに歩み寄り、そしてハイタッチを交わしたのである。 「コミくんとまたやれる。一緒にやれたうれしさから」だとハイタッチの理由を話すノボリは「ケガして苦労していたのを見てきたので、帰ってきてくれて嬉しいです。コミくんはプライベートでもよくしてくれますし、(小宮山が)Aチームに入るのは嬉しかった」とその行動を説明する。

 ただ、その言葉とは別物のような鋭さで「ただ、ポジションを譲るつもりはないです。ああしてAチームに入って来ることで危機感も出ますし、いいと思います」と競争を歓迎した。チームメイトの帰還と、ポジション争いとを区別したプロフェッショナルな姿勢が垣間見えた。

  ノボリからの祝福を受けた小宮山は、ノボリの人間性について絶賛する。 「ノボリは気遣いができる。本当にやさしいです。ずっと気にかけてくれていて、だからこそ嬉しかったです」 一つしか無いポジションを争うライバル同士ではあるが、そこにはフェアな人間模様としっかりとした競争関係があった。手にしたポジションを競争の中で守り続けるのだという決意が見て取れた。

 今でこそ主力メンバーのひとりとしての立場を確立したノボリだが、ここに至るまでの道のりは平坦ではなかった──。

右肩下がりの2011年

「2011年のシーズンの終わりくらいから本当に悩んでました。12年はオリンピックのシーズンだし五輪代表に選ばれるためには勝負する必要があると考えていて、Jリーグで試合に出ないとダメだと思ってたんです。でも、フロンターレではなかなか出られない。だったらJ2でもいいからレンタルでということを考えていて、結構前向きに考えていました」

 プロ入り後3年目となる2011年のノボリは、開幕スタメンでゴールを決め、またシーズン中にはロンドン五輪予選を戦うU-22日本代表にも招集されるなどチームの内外で存在感を見せていた。

「2011年は開幕戦で点を取れたし、乗りまくっていて手応えを感じていました」

 しかし、好調な期間はじきに終わりを告げる。ノボリにとってプロ入り後初フル出場となった第21節の福岡戦を最後に先発を外れ、そして出場時間を減らしていくのである。

「ベンチスタートになり、交代も最初は1番手だったのが、2番手、3番手とずれ、最後の方はベンチ外になりました。ある時負傷者が出て、ポジションがひとつ空いたことがありました。その時に、自分の中では最低限ベンチ入りはするだろうって思ってたんです。それで全体練習が終わり、メンバー発表があったんですがベンチにも入れなくて悔しくて。手拍子で締めた後、すぐにジョグしたんです。泣いてしまってて、恥ずかしかったので逃げようと思って。当時はそれくらい落ち込んでました」

 その時、ノボリの異変に気がついたのが今野章コーチ(現川崎フロンターレU-18監督)だった。

「なんかね、一人で走り始めてたんです。それで追いかけてジョグしながら話を聞いて『頑張ろうよ』というような事は言いました。そうやって話をすることで落ち着く事がありますからね」

 この時の事をノボリは「今野さんが走ってきてくれて、話を聞いてもらいました。落ち込んでて『いやー、もうだめっすよ』という事を言ったように覚えています」と振り返る。

 落ち込むノボリには理由があった。今野コーチが説明する。

「ツトさん(高畠勉、現川崎フロンターレ育成・普及部長)の時(2010年シーズン)は、ノボリの持ち味のサイドに開いてタッチライン沿いのところで勝負する形が出せていた。でも2011年に監督が相馬さんに変わって、約束事が新しくなって、みんながボールに近づくようなポジションを取るようになったんです。タッチライン際からインサイドに入るタイミングとかインサイドで受けた時のプレーの選択とかは、最初は他の選手の方が良かった。守備では中を締めてプレスをかける。そういう事を常にやる必要があった。でもノボリはそのプレーの選択とかタイミングとかを良くしたことで開幕でスタメンに入り、点を取って自分でやれると思ってたシーズンだったわけです。だから、シーズン終盤の評価の低さが特にショックだったんだと思います」

MF23 NOBORI 登里享平

 そんな2011年シーズンが終わり強化部と面談。前述のとおり2012年のレンタル移籍が現実味を帯びてきたころ、当時の相馬監督に戦力として考えている旨伝えられたという。そんな言葉に勇気づけられたノボリは、フロンターレでプレーし続ける決心をする。ただ、勢い込んで臨んだシーズン前のキャンプでは考えていたサイドハーフのポジションで起用してもらうことはなかった。

「2012年のシーズン前のキャンプが始まったんですが、紅白戦にすら出られず(残った選手同士で)ボール回しするような状況でした。また、紅白戦に出してもらったとしてもサイドバックで…。もちろん続けていればチャンスは来るかと思っていましたし、そうポジティブに捉えようと思っていたんですが、精神的にはどん底でした」

 結局2012年の開幕戦はベンチ外。右肩下がりの2011年シーズンの不調をそのまま引きずる形となってしまった。

若さ故の焦り

「自分のペースで自分のペースでと思っていても、まずは自分が試合に出ないと始まらない。結局は焦っていたんだと思います。『移籍しとけば良かった』という気持ちが出ていたようで相馬さんにも指摘されました。精神的に弱かったんだと思います。後悔ばかりで、そういう思いを目の前のサッカーに対してぶつけなければならないのに逃げていたところもあったんだと思います」

 そんな苦しい時期も今では冷静に振り返られるとノボリ。

「若かったんだと思います。どのポジションでも与えられたら全力で100%でやらないければならないんです。今だったら気持ちの余裕もありますし、ポジティブに考えることもできる。2012年というのは、そうした考え方や気持ちの面ですごく変わったシーズンでした」

 チームを取り巻く状況が劇的に変わったのが、シーズン序盤での監督交代だった。ご存知の通り、2012年シーズンのフロンターレは、第5節のFC東京戦をもって相馬前監督が更迭され、第8節の広島戦から風間新監督へと指揮官が交代した。

「風間さんに変わって試合に出始める事ができました。でもその時はまだレギュラーを取れるかはわからなくて、とにかく試合に出て自分のペースでやろうと。もし出番をもらえないとしても何年後かにそういう選手たちを超えられればいいのかなと思えるようになりました」

 そんな考えができるようになるきっかけは、五輪への思いの変化だった。

「五輪を諦めたわけではないんですが、ちょっと遠目から狙うというか、一歩下がって考えようと。実際に自分の実力を見ても滑り込めればいいという状況で、他の選手と比べても結果を残していないし、スタートも出遅れているというのもあったので。だからまずはフロンターレで出られればいいのかなと思うようになりました」

 程よく肩の力が抜けたノボリではあったが、6月9日に行われたナビスコカップ予選リーグ第6節の磐田戦で左第四腰椎横突起骨折の重傷を負い、ロンドン五輪への夢そのものが絶たれてしまう。結局復帰したのは8月4日の第20節の磐田戦。楠神順平(現C大阪)に代わり、後半76分にピッチに立った試合だった。それ以降は前目のポジションでの出場が続くが、9月15日の第25節鹿島戦を境に一度は先発を外れる。その後4バックから3バックへとシステムを変更したフロンターレにあって、11月7日の第31節浦和戦において先発に復帰。この浦和戦に先立つ11月5日の練習場で、風間監督はノボリについて次のように述べている。

「スピードもあるし技術もありますが、精神的なところで闘争心をもっと出してほしい。そうすれば、彼のスピードと技術は生きてくる。そこさえ自分でコントロールできれば能力が高いのはわかっているので、期待しています」

 この時のポジションは左のウィングバック。攻撃的な役割を担いつつ、守備時には最終ラインの横のスペースを埋める必要がある。攻守において重い責任を持つポジションだったが、この浦和戦で勝利したことでノボリはレギュラーに定着。4バックに変更して戦った最終節は、左サイドバックへとポジションを代えた。なお、ノボリが出場した最後の4試合でフロンターレは3勝1分けと負けなし。その後、フロンターレの左サイドバックはケガを除けばノボリで固定される事となる。

人はいいが、要求は忘れない

 冒頭で紹介した小宮山とのエピソードの他にもノボリの人柄を示す話は多い。たとえば、プライベートでも仲がいいという山本真希は、「とにかく気が利く」と話す。食事に行っても、細かいところまで気が回るとのことで、「できることなら嫁にしたい?」と話を振ると「そんな感じです」と笑うほど。

  そんなノボリだから、チームメイトとの関係は良好である。特にレナトとは練習中はもちろんロッカールームでも片言ながらコミュニケーションを取るという。「基本的に自分が考えるのは、レナトを自由にさせてやりたいということ。それを第一に考えていて、それにプラスして自分がどう生きるのかを考えてます。レナトが前で詰まったら後ろでサポートして数的有利を作ったり、追い越して、使ってくれるならオレが行きますし。俺のフリーランを見てくれて、その上でレナトが思ったプレーをしてくれればいいと思ってます。それがレナトの選択なので。別にオレに出してくれなくても怒ったりはしません」と話す。

 レナトはノボリとのコミュニケーションについて「一番わかるのは守備のため、戻ってきてほしいという時。あとは、右とか左とか言われて中に絞ったり、外のコースを切ったりしてます」と話す。またコンビネーションについては「結構長い期間やっているので、スタイルもお互いに分かっているつもりですし、ノボリはスピードがある選手なので自分だけで突破するのが難しい時はノボリとの連携で上手く崩せる時があります。そういう意味ではお互いに見合いながらやっているのでやりやすいと思います」と述べている。

 もちろん必要であれば憲剛への要求も躊躇しない。

「調子いい時は憲剛さんにも『憲剛さん、今の見といて』って感じでは言います。悪い時はそうでもないですが(笑)、でもそういう要求はできるようになってます。もちろん相手からも要求されますし、そういう意味ではチームはいい方向に行っているんだと思います」

 香川西高からフロンターレに加入する際、ノボリは憧れの選手として”中村憲剛”の名前を上げていた。その憧れの選手に対して要求するまでに成長したとも言えるが、憲剛は「それは当然だと思いますよ。フロンターレに入った瞬間に対等なので。だから年齢に関係なく言っていんですよ」と当然視する。そして、コンスタントに出場する現状を次のように分析する。

「ここに来てコンスタントに出ていて自信は付いたと思う。昔はノボリの思い描いている理想と、現実がずれている時期が長くて、好不調の波もあった。でもノボリは根が真面目だから、人の話も聞ける。だからノボリの良さをどう引き出すのか、アドバイスもしてました。そういう事もあってか、今は好不調の波はなくなってきてるよね。だから彼自信も自信が付いてきたし、いろんな選択肢が見えてきてる。あとはそれが過信にならないようにして欲しいですね。すぐ調子に乗る、お調子者だから(笑)」

 ちなみにノボリは自らを「こういうふざけたキャラ」だと自嘲気味に話す。ただ「もう22ですし」と前置きし「試合にも出られてきて、もう若手の甘えはなくなってきて、これから本当に引っ張っていく存在になっていきたいですね。それは常に考えています」と言葉を続ける。なぜならば「どんな時でも応援してくれて、ブーイングもしない。そんな熱くて優しいサポーター」がいるから。そのサポーターとともに「フロンターレで長く続けたいですし、戦力外にならなければこのままいさせてもらいたい」と願っている。年齢で言えば大卒1年目のシーズンではあるが、すでにプロとして5年のキャリアを持つ。一般の人の感覚で彼の年齢を見てはいけない。ノボリが持つプロとしての自覚を、尊重したいと思う。

MF23 NOBORI 登里享平

与えられた環境に適応する

 風間監督就任初日の練習中にノボリは「苦手なサッカーだ」と思ったという。とにかく頭を使わなければらないからだ。しかし、そのサッカーにも今ではすっかり慣れ「今はホンマに楽しいです」と話す。

「本当に試合中、考えながらできるようになりました。昔は自分の武器であるトラップやドリブルといった自分の特徴をどう使うかを考えていました。ところが今は味方のポジションだったりパスのタイミング、つける足だったり、どう動くか、どう外すか。サッカー自体への考え方がぜんぜん違ってるんです」

風間監督のサッカーについて話すノボリは、「驚かされるプレー」をする攻撃を楽しんでいるという。そして、そういうサッカーをやる風間監督のサッカーに衝撃を受け続けているという。

「今のサッカーができれば、どんな相手でもできるということを監督が言うんですが、本当にそう思います。バルセロナだってそう。昔は『何やねん』と言われてましたが、長い時間をかけて今のサッカーを作ってますからね」

 そんなフロンターレでコンスタントに試合に出続けた先に、日本代表への扉が開けるかもしれない。そのためにも「練習中から研ぎ澄まして高水準のパフォーマンスを出していきたい。そして、宏樹さんみたいにフロンターレを背負ってやっていけるような選手でありたいし、憲剛さんみたいに頼られる存在にもなりたい」と将来を見据えた。

 プロサッカーチームは、状況が日々刻々と変化する。

 ノボリには寝耳に水だったとは思うが、8月10日の第20節FC東京戦でレナトが負傷退場。交代出場した小宮山が左サイドバックに入ると、ノボリはサイドハーフへとポジションを一つ上げた。続く8月17日の第21節甲府戦でも左サイドはこのコンビ。左サイドバックとして代表まで視野に入れていたノボリにとって予期せぬ出来事となったが、与えられたポジションで全力を尽くすことの大事さを学んできたノボリはこの事態を乗り越えていくのだろう。

 レナトが復帰した際に、どのようなポジション争いが繰り広げられるのかは分からないが、その時はノボリのペースで、でも貪欲にポジション争いするはず。そして、もしベンチスタートの日々に戻ることがあっても、ノボリはそこで落ち込むことはないと断言する。

 鬼木達コーチの教えを実践し「いつ呼ばれてもいいように常に準備をしようと思います」と力強かった。レギュラークラスの選手が常に切磋琢磨しあう環境があり、それが選手個々の技量を高め、チームの底力を上げていく。この先ノボリがどのように成長していくのか、楽しみで仕方ない。

マッチデー

   

profile
[のぼりざと・きょうへい]

瞬発力を生かしたドリブル突破と裏に抜ける動きにすぐれたサイドアタッカー。2012シーズンは左MFだけではなく左サイドバックにもチャレンジ。レギュラーポジションをつかみ取るなど、着実に進化を遂げた。

1990年11月13日/大阪府
東大阪市生まれ
168cm/69kg
ニックネーム:のぼり

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