不屈のサッカー小僧選手
テキスト/いしかわごう 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Ishikawa,Go photo by Ohori,Suguru (Official)
気づけば、クラブ在籍9年目。過去、3クラブを渡り歩いてきた男にとって、川崎フロンターレというクラブは、
どこよりも長く過ごした場所になっていた。そして”つなぐセンターバック”として最終ラインに君臨。
その姿に「初めてフロンターレに来たときは、こんなタイプではなかった。
風間監督になってアイツが一番変わったんじゃないかな」と中村憲剛は笑う。そんな井川祐輔の生きる道に迫った。
2014年シーズンの公式戦は、アジアチャンピオンズリーグから始まった。クラブとしては4年ぶり4回目の出場である。
「久々のACL、怖さはありますよ。もしかしたら、相手にはものすごいFWがいるかもしれない。初めて見る相手は、やってみないとわからないですから」
言葉ではそう言うものの、どこか余裕を含んだ表情で井川祐輔は話していた。もしかしたら、それは経験から来ていたものなのかもしれない。川崎フロンターレが出場した過去3度のACL、その全てに出場経験があるのは中村憲剛と井川祐輔のみだからである。
等々力競技場で行われた貴州人和戦。
この試合の川崎フロンターレは、出足の鈍かったアウェイチームを序盤から圧倒した。相手が前からボールを奪いに来たら、その逆を突いたパスワークでいなす。相手が後ろで引いて構えたら、センターバックの井川とジェシのどちらかが高い位置までボールを運び出し、ほぼフリーの状態のまま中盤でゲームを組み立てる。後ろと中盤で面白いようにボールを回してゲームをコントロール。得点こそレナトが決めたFKの1点止まりだったが、幸先の良い白星発進となった。
未知な部分の多い相手チームとの対戦だったが、チームは無失点での勝利をおさめた。試合後の井川にも安堵の表情が見て取れた。
「初戦を失点ゼロで終えたのは後ろとしてはよかったです。そこは収穫ですね。そんなにピンチもなかったと思っていますが、ピンチ自体を限りなくゼロに抑えていきたいです」
このとき、守備面よりも多く言及していたのがビルドアップやフィニッシュに関する指摘だった。
「もっといい形でボール回しをしていかないといけないし、後半は相手のペースに合わせてしまった部分もある。もうちょっと相手を崩せた部分もあるし、アタッキングサードでのミスもありました。そこは改善していきたいですね」
試合後、攻撃の組み立てに課題を挙げるセンターバック。そしてそこに、井川祐輔の生きる道がある。
「風間監督のサッカーの中では、後ろがどれだけ攻撃の組み立てを出来るかが大事。そこがチームの生命線だと言っても過言ではないぐらい。守れるだけではなく、ボールをさばけるセンターバックが求められている。でも初めてフロンターレに来たときは、こんなタイプではなかったよ。風間監督になってアイツが一番変わったんじゃないかな」
現在の井川祐輔を中村憲剛はそう話す。前線や中盤の選手が相手の激しいプレッシャーを受ける現代サッカーにおいて、余裕を持ってボールを持てるポジションはどんどん後方になりつつある。そこで求められているのが、つなぐセンターバックである。それは、風間監督の掲げるサッカーでも例外ではない。川崎フロンターレでは、この役割を担っているのが井川祐輔だと言える。
後方からゲームを組み立てるとはどういうことなのか。試合を良く見ていればわかることだが、チームのビルドアップの多くは、GK の西部洋平のゴールキックを、大きく左サイドに開いている井川祐輔がボールを受けることから始まっていく。
仮に、そのとき対峙した相手のフォーメーションが[4-2-3-1]だったとする。センターバックである井川祐輔が対面する相手は、主にフォワードとトップ下の二人になる。相手がまず注意するのは、ゴールへの最短距離である中央のエリアに縦パスを通させないことだ。いわゆる門を閉じるような役目で、相手にボールを持たせながらそのコースを消すことで、パスの出しどころをサイドに限定しようとする。いくつかのチームが採用している守備の原則ともいえる。
相手のこうした狙いを見たとき、井川祐輔の駆け引きが始まる。ボールを持っているとき、右にはジェシ、前にはボランチがいる。井川は近くにいる味方に出すと思わせておいて、あえて違うところにパスを出す。あるいはパスを出す振りをして、そのままドリブルでスルスルと運んでしまう。この持ち運びは井川の特徴でもある。
「相手がサイドにボールを出させようとしているなら、そこであえて自分がボールを運んでいきますね。前線の選手は、サイドにボールを出させたら、そこで仕事が終わりという感覚もあると思うんですよ。だったら自分がもっとボールを持ち運んだら、相手はどう対応して来るかなと観察してます」
つまり、相手がボールを持たせてくれるのならば、パスではなくドリブルを仕掛けて二人の反応を試す、あるいは二人の間を突破してしまうのである。パスを選択すると思っていた前線の選手は不意を突かれた格好で、あわててボールを取りに追いかけてくるが、すでに置き去りである。閉じていたはずの中央の門をあっさりと突破されたことで、中盤にいるサイドハーフやボランチも持ち場から引き出されて対応せざるを得なくなる。こうなれば守備の組織は崩れやすい。してやったりである。
「そこで、もし自分のところに相手が来たら、他の場所が空きますよね。ここで、ぽんぽんとパスをつないでしまえばいい。敵が近くに居ても、自分がもらい直せば2対1を作れるし、そこでフリーになれる。ボールをつけて受け直せば、フリーになれるという感覚でさばいてますね。ボールを持った自分がどうすれば優位になれるか。それを常に考えてます」
もちろん、攻撃の組み立てには細心の注意を払っている。大事なのはボールを運ぶことやパスをつなぐことだけではなく、あくまでゴールに直結する最短距離を選択する判断だからである。
「まずは一番遠いところを見ます。嘉人やレナトを見て、味方を一列飛ばすパスを意識しています。ただレナトも状態が良いときはボールを持ったときに反応してくれるけど、疲れているときは反応してくれない。そうなると出せないから困る。もらいに来なくても、相手から逃げてくれればスペースは空くのだけど、止まってしまうのが一番困る。そうなるとパスを出しても相手も狙いやすいですから」
こういった一連のプレーについて井川は簡単なことのように話すが、この選択は様々なリスクも伴う。もし仮に後ろで相手にボールを奪われたら、その瞬間に失点に直結しかねない大ピンチだからだ。しかしそんなリスクと背中合わせの状況でも、逃げのロングボールを蹴らずに、ボールを大事に持ち運べるか。あるいはボールをつなげるか。井川はその勇気があるセンターバックなのである。
「もちろん、怖いですよ。後ろが取られたら失点ですから。でもそこを楽しむことですよね。それに、うまくいったことを覚えておけと風間監督はよく言うんです。敵が来ていても、うまくボールをまわせたら、それができるんだという自信になるし、その感覚を覚えておくことが大事なのだと思います。成功体験を通して、風間監督が言っていることが理解できるようになるし、身体にも染み付いてきている。ウチはみんなボールを受けようとしているし、みんなが同じ共通理解でやらないといけない。そしてそれを楽しむことができるようになりました。スポーツの根底にあるのは楽しむということですから」
井川のこうした姿勢には、最後尾で見守る西部洋平も信頼を寄せる。
「ゴールキックのときはわかりやすいですよね。自分が持った時、動き出しが一番早いのがイガなんです。今の最終ラインだと、イガがいないとボールをつなぐ意識は薄れると思います。彼が頑張ってでもボールつなごうとしているから、まわりが動いてくれている。前の選手が楽にプレーできるのも、後ろでどれだけ相手をはがせるかがポイントだし、後ろがボールを保持することで前にタメができている。風間監督のサッカーには欠かせない選手だと思います」
後ろが前線に動き出しを要求することもあれば、前線の選手から後ろの選手が出すボールに要求をしてくることも多い。中でも要求が一番厳しいのが、トップ下の中村憲剛だという。例え相手に囲まれていても、ボールを受けるわずかなスペースとタイミングがあるならば、その瞬間を見逃さずに後ろがパスをつけてこいと求めて来る。中村の要求はシビアだが、それに呼応できる技術と視野が井川にはあるのだから、中村も要求レベルを下げない。ピッチでの二人はそういう関係だという。
「井川に求めているものは高いし、口を酸っぱく言っている。少しだけ動いて下がって止まった瞬間に、この小さいスペースで自分はボールをもらいたい。後ろからすると、もっとわかりやすく動いて欲しいというのはあると思う。自分たちは、前線で動いて、『ヘイ!ヘイ!ここにちょうだい!』じゃないからね(笑)。でもそこを要求するのは、井川がそれを出来るから」
井川自身も貪欲だ。タイミングを見逃さず、自慢のアタッカー陣に良い形でボールを供給して前を向くプレーをさせることができれば、その時点で一点もののチャンスが巡って来るからだ。
「憲剛はトップ下だから、少し距離が遠いじゃないですか。でもラインを一個飛ばすことで、相手のプレッシャーをかわせるし、憲剛だったら敵が近くに居てもボールをつけます。簡単には取られないですから、むしろ敵に食いつかせるぐらい。うまくやればあそこで攻撃のスイッチも入りますし。自分のパスでスイッチが入って攻撃がうまくいくのは快感ですね」
井川自身が攻撃のスイッチを入れたと振り返る得点シーンがある。昨年の第23節、等々力での大宮アルディージャ戦で見せた中村憲剛のゴールが、それだ。
相手の最終ラインをかいくぐって抜け出した中村憲剛が、飛び出して来た相手ゴールキーパーをあざ笑うかのようにループシュートでネットを揺らした一撃である。このとき、絶妙なアシストを出したのは森谷賢太郎。その森谷にパスを出したのが、センターバックの井川祐輔だった。いわば、アシストのアシストなわけだが、その井川から森谷に足元に届けられた鋭い縦パスには、「ターンして前を向け」というメッセージが込められていたという。そしてそこで攻撃のスイッチが入った。あのボールを受けた森谷が証言する。
「僕自身は速いボールが欲しいタイプですし、あの大宮戦は自分が前を向けるパスだったと思います。イガさんは自分が前を向けるようにパスを出してくれますね。センターバックの中には、前に当てられないというタイプもいる。ボールをつなぐとき、しっかりと前を向けるセンターバックなので、受ける側としてはありがたいです」
こうした背景を聞くと、あのゴールも興味深いのだが、実際には周囲になかなか伝わらない部分でもある。例えばこのゴールであれば、ループシュートを決めた中村憲剛とそこにパスを出した森谷賢太郎にフォーカスしたものがほとんどだろう。前を向くための攻撃のスイッチとなる縦パスを入れて、アシストのアシストを記録した井川祐輔にスポットライトが当たることはない。
「伝わらないですよね(笑)。点を取る人たちは花形なので、そこが目立つのは当たり前ですし、いわば、美味しい料理の完成品だと思うんですよ。でもその影には手間ひまをかけている人たちがいるんだよ、とわかってもらえたらうれしいですね。僕らは黒子ですから」
料理に例えるならば、井川のビルドアップのこだわりは、美味しい料理を作る為の煮込みをしている作業に近いかもしれない。選び抜かれた食材と完璧なレシピがそろっても、入念な下ごしらえがなければ美味しい料理は完成しない。そんな下ごしらえのディテールが井川のこだわりでもある。
例えば、パスの質。風間監督のもとでプレーしてから、自身のパスの種類も少しずつ変わっていったという。以前、ボランチの稲本潤一が、井川から足元に入る強い球種を「鬼パス」と表現していたことがあったが、最近はその鬼パスの回数もグッと減った。中盤の受け手に聞くと、確かに去年の井川のパスは優しかったそうである。いまではわざと緩いパスを中盤に出すことで相手に食いつかせ、そこでまた自分にバックパスをしてもらい、もらい直すことで攻撃を組み立てやすくする。後ろからの何気ないパスにも、そんな工夫や余裕を盛り込むようになったという。
「前は、パスは味方に通れば良いという考えでした。強くボールを蹴ってそこでやってよ、というパスですね。でも最近は優しいんですよ。自分の中で、地面を滑らしてツツッという滑るボールなんです。強いけど、やさしいみたいな(笑)。後ろにも一回返せるし、その間に、まわりも見れるようなボール。メッセージつきのパスですね。しっかり守れるセンターバックであり、組み立てもできるボランチでありたい。そこを目指しています」
彼がこれだけピッチ内のことに向き合っているのには理由がある。2011年には相馬直樹監督にキャプテンを任されたが、チーム全体をまとめることを意識し過ぎて、自分のプレーを見失いかけたという苦い経験があった。
「あのときは回りの目を気にし過ぎましたね。自分自身の気負いもあった。でも今はまわりのことを気にしないようになりました。いらない情報は入れなくなったし、純粋に自分に向き合うようになったと思います」
この3年間に結婚して子どもが生まれ、生活リズムもそれまで以上に一定のリズムで過ごせるようになった。
「オフだからというのがなくなりました。起きる時間も寝る時間も、ご飯を食べる時間もいつも一緒。日常の延長線上にサッカーがあるし、オフだからと言ってもサッカーがないだけ。奥さんがいることでコンディションもよくなったし、お酒を飲むことも全くなくなりました。30歳からガクンと来るというけど、そこは自分の取り組み次第でしょうね。だから今は一年でも長くプレーしたい」
現在32歳。すっかりベテランという枕詞がつくようになっている。
「自分が入ってきたときに周平さん、宏樹さんを見ていた感じで若手は自分を見ているのかな。34歳か35歳でみんなやめているんで、自分にもそんな日が来るのかとも思います。35歳以上まで第一線でやりたいし、できればそれ以上やりたい」
フロンターレ一筋の生え抜きではないが、実はかなりの古株だ。伊藤宏樹が引退したことで、クラブ在籍歴は中村憲剛に次いで、杉山力裕と並び二番目の長さになった。
「06年からですからね。フロンターレは水が合いましたね。その前にいた名古屋が大企業だったこともあって、フロンターレはフロントや営業の方を含めてアットホームな感じがして居心地も良かった。宏樹さんは13年、憲剛が11年ですか。願わくば、フロンターレで引退したい。宏樹さんほど長いVTRはいらないですけど(笑)」
若手時代、渡り鳥のようにいくつかのクラブを点々としてきた井川祐輔にとって、この川崎フロンターレというクラブは、いつしかしっかりと腰を据えて過ごせる大切な場所になった。そして、見つけた”つなぐセンターバック”として生きる道。まだまだ力強く、その道を歩いていく。
守備だけではなく、最終ラインからボールを配球して攻撃の起点にもなれるセンターバック。読みを生かしたインターセプト、スライディングでのカットといったアグレッシブなプレースタイルは残しつつ、年齢を重ねるごとにプレーの安定感も生まれてきた。昨シーズン終盤のパフォーマンスを維持し、レギュラーの座を確固たるものにしたい。
1982年10月30日
千葉県成田市生まれ
ニックネーム:イガ