MF19 森谷 賢太郎選手
"唯一無二"の武器とともに
テキスト/スポーツニッポン 垣内一之 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Kakiuchi,Kazuyuki from Sponichi photo by Ohori,Suguru (Official)
「練習では打てるけど、試合では打てないというのがずっと続いていました。でも、『練習で出来ないことは、試合で出来ない』みたいなこと良く言うじゃないですか?」
森谷がそう振り返ったのは、5-1で大勝した9月30日のセレッソ大阪戦で決めた、ブレ球のミドルシュート。誰もが驚いたあのシュートは、森谷自身にとっても待望の一発だった。
もともと正確なキックとその種類の豊富さに定評があった森谷だが、そのブレ球との出会いは意外にも、マリノスのジュニアユースに所属していた中学生時代にまでさかのぼる。
「実は、中学校の頃から蹴っていたんですよ」
そう切り出すと、当時の思い出を懐かしそうに語り始めた。
「新子安の練習場には当時、土と人工芝のグラウンドがあって、ジュニアユースとユースは同じ時間帯に、ジュニアユースは人工芝で、ユースは土のグランドで練習していたんです。それでユースの練習が先に終わったりすると、僕らのピッチの横に小さいミニコートみたいな場所があって、ユースのGKがそこでシュート練習をやっていたので、僕らジュニアユースの選手も時々混ざらせてもらっていたんです」
数々のJリーガーを輩出した、かつてマリノスが練習場を構えていた横浜の新子安グラウンド。森谷少年にとって全体練習後のそのひとときは、2、3学年上の先輩たちに混じってレベルアップする絶好のチャンスだった。
当時の安達亮ユース監督(元ヴィッセル神戸監督)からジュニアユースの選手に「入っていいよ」と声をかけられると、森谷少年も迷わず、ユースのGK相手にシュートを打ち込んだ。 憧れのプロを目指して、切磋琢磨し、無心にシュートを打ち込む日々。すると、ある日、ボールが妙な回転で飛んでいく瞬間を、森谷は見逃さなかった。
「何かきっかけがあったわけじゃないですけど、ブレ球はそのときに蹴れていたというイメージなんです」
当時のマリノスユースには、現在浦和レッズに所属する榎本哲也や、現在もマリノスの正守護神として活躍する飯倉大樹らがいた。
J2湘南の秋元陽太らも含め、当時ユース所属で今もJリーグで活躍するGKは多い。みな背丈こそそれほどないものの、それを補って余りある、シュートストップを得意とするGKばかり。
もしかしたらシュートストップに長けた榎本らGKの特徴を加味し、自然と工夫をこらしたシュートを打ち込む意識が働いたのかもしれない。
今でこそ、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドや、10年W杯南アフリカ大会での本田らの存在もあり、ブレ球という言葉は世間に認識されている。だが、森谷が中学生だった約15年前には、そんな言葉さえまったく耳にしなかった時代。
「おーってなっていたのは、覚えていますね。(榎本)哲くんとかはたぶん覚えてないと思いますけど(笑)。その反応が嬉しくて何度も何度も蹴り込んでいました」
当然、その〝得体の知れないシュート〟に、榎本らGK陣からは驚きの声が上がっていたという。
こうして中学生で早くもブレ球に目覚めた森谷は、その後も、努力を重ねながら順調にプロへの階段を上っていった。そしてマリノスユース、筑波大と進学する中で、武器のキックにさらに磨きをかけていく。
「中学のときは、思いっきり蹴ったらブレるなくらいだったんですけど、蹴り続けていたら、こうやって蹴ればこういうボールが飛んでいくんだ、みたいな感覚を覚えたというか、徐々にコツを掴んでいきました。ユースや大学のときは結構、ミドルで決めていましたね」
そしてプロ入りすると、ブレ球を含めた自らのキックが、プロでも大きな武器になりえると自覚するようにもなった。
「中学のときは、プロ(の選手)は、誰でもこういう質のボール蹴れるんだろうなと思っていた。それこそ、プロだともっとすごい落ち方をするブレ球だったり、もっとすごいんだろうなあと思っていた。でも、意外と蹴れる人がいないって段々、分かってきたんです」
蹴り方については今も「別に身体が柔らかいわけではないです。何が秘訣なんですかね…。よく、『どうやって蹴っているんですか?』って聞かれるんですけど、自分では説明できないですから」と笑う森谷だが、プロ入り後は、身近にいたこの上ないお手本の存在も、得意のキックがブラッシュアップされる上で大きな役割を担ったという。
「俊さん(中村俊輔)もそうだし、フロンターレに来たら憲剛さんもそうだし、嘉人さん(大久保嘉人)もそう。キックが上手い選手がチームメートにいた。だから、蹴り方とか、こうやって蹴ったらこういうボールが飛んでいくんだとか、普段の練習から見ていた。稲さん(稲本潤一)もサイドチェンジするときのストレートボールとかめちゃくちゃ上手い。だけど、自分のような質のボールを蹴れる人はいなかった。だから逆に、こういう質のボールが蹴れるのは、自分の武器なんだなと思うようになりました」
中でも、フロンターレで3度の得点王にも輝いた大久保嘉人の存在は大きかったようだ。
「嘉人さんって、めちゃくちゃシュート練習やっていたんですよ。もとからシュートは抜群に上手いですけど、フロンターレに来てから、いろんな種類のボールを蹴れるようにトレーニングの後に練習していました。これだけのレベルの選手が日々向上心を持って新しい武器を身につけようと練習している姿を見て、自分もそれに負けたくないという気持ちで、一緒にシュート練習をやっていました」。
今では、森谷自身も「フロンターレのGKって、自分がボール持ったら、(後ろに)下がるんですよ。(頭上を)やられるって分かっているから」と言うほど、チーム内ではその威力を誰もが知るところとなった。
あとは、実際の試合で決めるだけ。そして迎えた冒頭のセレッソ戦で、その瞬間が訪れた。
「等々力って本当にすごいですよね。この前のルヴァンカップ(10月8日の仙台との準決勝第2戦)もそうだったんですけど、あの一体感・雰囲気がすごい。そういう等々力の雰囲気もあって、あのシュートが打てたと思う」
地道な努力でレベルアップを図ってきた右足が、全ての条件が整ったあの日の「等々力劇場」で、ついに形となった。
セレッソ戦は森谷にとって、リーグ戦に限って言えば、9月16日のアウェーでの清水エスパルス戦に続く今季4度目の先発だった。それまで出番にあまり恵まれなかった中、突如巡ってきたチャンス。しかも、チームは逆転優勝へもう1試合も負けられない状況だった。決して少なくないプレッシャーが森谷に懸かっていたことは、想像に難くない。
それでも、「プレッシャー?もちろん、ありました」と言う森谷には、一方で、出番に恵まれない中でも「準備してきた」という強い自負があった。
プロである以上、控えに甘んじて満足する選手はあまりいない。森谷も「そういう(悔しい)気持ちがなかったらおかしいですからね」と言う。
「でも、それが逆になにくそじゃないですけど、やってやろうという気持ちにもさせてくれたし、自分の中で良いバランスでメンタルをコントロールできたのかなと思います」。経験とともに培ったメンタル面のセルフコントロールが、セレッソ戦では大きくプラス面に働いた。
同じポジションで、ライバルでもある大島についても「自分とは比較対照にならない。僚太は、日本で一番良いボランチですから。歳は(自分より)下ですけど、尊敬する部分とかも多い」とその実力を認めているからこそ逆に、「僚太と一緒に切磋琢磨できているか分からないですけど、自分はそういう気持ちでやってきた。それ以上に負けたくない気持ちがあった。僚太がケガして、本当にチームとしては大ダメージだったと思います。『フロンターレのタイトル奪取は厳しい』なんていう周りの声も聞こえていました。だから自分は出来なかったらどうしようという気持ちよりも、もし自分が出たらやってやろう、絶対に勝って結果を残して周りを見返してやろうという感じだった」。気負いはなかった。
これまで数々の偉大な先輩の後ろ姿も見てきた。そして年齢を重ね今や、逆に見られる立場にもなった。そういった自覚や経験もまた、森谷の〝ここぞという力〟を引き出した。
「憲剛さんもそうだし、嘉人さん、佑二さん(中澤佑二)さんも、そう。試合に出ている選手は、試合で最高のパフォーマンスを発揮するために、しっかり準備をしている。逆に(試合に)出られないけど、腐らず、弱音を吐かないで、いつチャンスが来てもいいように、常に準備を怠らない選手も見てきた。それが本当のプロだなと思ったし、そういうお手本となる選手がいたからこそ、もし自分が試合に出られないという立場になったときどう在るべきか、というのを考えられるようになった。裏を返せば、自分より若い選手に自分も見られているなという、意識もあった。絶対に弱音を吐いて腐っているような姿は見せたくなかったし、今まで自分が見てきた先輩のように常に100%で練習に取り組んで準備する姿を見せなきゃいけないと思っていた。若い選手がそういう目で自分のことを見ていたかは分からないですけど、その意識がメンタル面も含め、いつチャンスが来てもいいようにしっかり準備が出来ていたことが一番大きかったと思うし、自分を支えていたと思う」
もちろん、普段から怠らない準備の根底には、ほかの選手同様に、クラブ史上初のタイトル獲得へという強い思いも当然ある。
「今年チームはACLにも出場し、そのACLも含めルヴァン杯、天皇杯、リーグ戦と、日程がタイトな中でもタイトルを狙える位置に付けていた。シーズンを通して試合に出続けることは出来なかったけど、〝いいとこ取り〟じゃないですけど、大事な試合で自分が点を取って、勝って優勝させるという気持ちはいつも持っている。自分がヒーローになろうって。けどやっぱり自分が出ていなくても、チームが優勝すれば何でも良くて、今いるメンバーでフロンターレ初優勝したいという気持ちですね」
昨年度の天皇杯決勝。年度こそ違うものの、チームは2017年を黒星でスタートした。森谷自身も、あの悔しさは今も心の中に強く残っている。その悔しさも、今シーズンの森谷を含めた選手たちの強いモチベーションになっている。
「2016年度の天皇杯で負けて、そこから2017年がスタートした。誰もが勝って良い2017シーズンをスタートさせようと思っていたし、僕ら選手だけじゃなくてファン、サポーターもそう思っていたと思う。みんな期待してくれていた中で、ああやって負けてしまって、結構、気持ち的にも落ちたし、切り替えるのは難しかった。ですけど、切り替えなきゃいけないというのはみんな思っていたし、今年絶対にタイトルを獲りたいという気持ちがさらに強くなったと思いますね」
サポーターと言えば、森谷がマリノスから移籍してきた当初は、それこそ厳しい声もたくさんかけられたという。それも今思えば、森谷にとっては良い意味で原動力になってきたという。
「今も厳しい言葉をかけられるときもありますよ。だけど、それも含めて自分は声援というか、応援されていると捉えているし、そういう声を聞いて発奮材料や原動力にしてきた」
だからこそ、タイトル獲得がファン、サポーターへの最高の恩返しと言う。
「逆転されたACLのレッズ戦のときもそうだったけど、絶対ブーイングされてもおかしくない。それでも拍手してくれるし、こんなに暖かいクラブはないと思う。逆に自分達がそれに絶対に甘えたらいけないと思う。拍手されて、〝次やろうよ〟って暖かい声援をかけてもらっているけど、その拍手を受けながらも、自分にブーイングするじゃないですけど、そのくらいの気持ちでいなきゃいけないなと、いつもあの場にはいます。だからそういう人たちのためにも優勝したいというのはものすごくありますし、優勝することが、ファン、サポーターへの一番の恩返しになると僕自身は思っていますね」
そして森谷は再びあのセレッソ戦のブレ球を回想した。
「セレッソ戦のミドルシュートもそうですけど、いくら練習でも上手く打てていても、試合でそのとおりに行くとは限らない。なんであんなシュート打てたんだろうと思うんですけど、やっぱり、あの試合はスタジアムの雰囲気がすごかったじゃないですか、満員だったし。そういう声援が、あのシュートを打たせてくれたのかなと思うんですよね」
今シーズンも残りわずか。森谷は中学時代からここまで積み上げた大きな武器を手に、様々の思いを胸に仲間とともに戦う。
profile
[もりや・けんたろう]
繊細なボールタッチと相手の意表を突いたミドルシュートが持ち味のMF。パスアンドゴーを繰り返しながら、チームのリズムをテンポアップさせる。攻撃だけではなく守備でも献身的にピッチを駆け回り、前線と最終ラインをつなぐ潤滑油になる。
1988年9月21日
神奈川県横浜市生まれ
ニックネーム:ケンタロウ、モリモリ、けんちゃみん