2012/vol.02
ピックアッププレイヤー:黒津 勝
プロ入り12年目、今年で30歳というひとつの節目を迎える黒津勝。
高校を卒業して加入した選手としては
クラブ最長の所属歴であり、伊藤宏樹や中村憲剛と並び
フロンターレのJ2時代を知る生え抜きでもある。
1年1年歩みを進めながらクラブとともに成長を続けてきた黒津だが、
昨シーズンは怪我に泣かされ、
1年の大半を治療に費やすことになった。新シーズンの2012年、
背番号7は並々ならぬ決意をもって新シーズンに臨む。
「今年で12年目になるんですけど、あまり実感はないんですよね。でも実際にはそれだけの月日が経っていて、その間にJ2で優勝して、J1で優勝争いをして、ACLを戦ってグループリーグを突破したり、いろいろな経験をさせてもらいました。プロに入ったとき、こんなに長く、しかも同じチームでプレーできるなんて思っていませんでした。正月に実家へ帰ったときにも、『まさかここまで長くプロでやれるなんて』って親から言われましたから」
一昨年の2010年、黒津はプロ入り10年目にして出場時間を大きく伸ばした。それまでは途中出場が多かったが、この年はスタメンに定着するなど、確かな手ごたえをつかんだシーズンとなった。だが翌シーズンの2011年、リーグ開幕戦のメンバー表に黒津の名前はなかった。開幕を控えた2日前のトレーニング最中に怪我を負うアクシデントに見舞われたのだ。
「紅白戦での競り合いのときにやっちゃいました。『うわ、開幕前に怪我かよ』って。一瞬のことだったんでよくわからないんですけど、右足をついたときに衝撃が走って、足首全体がしびれた感じで歩けなくなりました」
病院の診断はアキレス腱周囲炎。その名の通り、アキレス腱の周辺が炎症を起こしていた。当初は完治するまで長くはかからないだろうと見られていたが、練習グラウンドでランニングができる状態になったのは数ヶ月後。今シーズンは東日本大震災の影響でリーグ戦の中断があったが、その間にも症状はよくならず、復帰の時期はずるずると延び、結局シーズンのほとんどの時間を怪我の治療に費やすことになった。
「怪我をしてから1日2日で松葉杖は取れたんで、最初は長くても2ヶ月ぐらいで戻れるのかなと思ってました。でも実際は注射を打てば若干痛みが治まるんですけど、運動を再開するとまた痛くなるっていう繰り返し。普通に歩くぶんには問題ないんですけど、基本的には安静にしていて、治療をしながら補強をするっていう毎日でした」
回復の兆しはあった。夏前の7月には全力でランニングができるようになり、全体練習に合流間近という状態にまでコンディションは上がっていた。だがその頃には炎症が慢性化しており、足首の痛みが再発。また治療の日々へと逆戻りしてしまう。結局、黒津がピッチに戻ってきたのは、さらに4ヶ月後の11月のことだった。
「もちろんサッカーができないっていう焦りはありました。いつもスタンドから試合を見なきゃいけないわけだし、サポーターからは『早く復帰してね』って声をかけてもらっていたので。でも、こればかりはどうしようもない。それこそ怪我の功名で何かを見つけようとして、できるだけ家族と一緒にいたり、いろんな人と会って話をしたり意見を聞いたりしました。そういう意味では、人として学ぶことは多かったとは思いますけど」
練習グラウンドに出ていく選手たちを尻目に、クラブハウス内のトレーニングルームで黙々と同じメニューを繰り返す日々。「このまま復帰できないままシーズンが終わるんじゃないか」、そんなネガティブな思考が頭のなかを駆け巡ることもあった。そんな苦しい時期を支えていたのは家族。愛娘の心音ちゃん、そしてアスリートの妻として夫をサポートし続けた友紀夫人の存在だった。
「本当に嫁さんには感謝の言葉しかないです。俺が辛いときに笑顔でいてくれたから。普段は怪我のことはあまり話さないんですけど、『また痛くなった』って話したら『私に何ができる?』ってすべての面でサポートしてくれました。俺ひとりだったらいろいろ考えちゃって『もう何でもいいや』って投げやりになってたかもしれない。怪我の感覚って本人にしかわからないから、ある意味、俺以上に苦しかったんじゃないかなって。だから復帰できたとき、心の底から『ありがとう』って思ってました」
本人の懸命な努力、そして家族の支えもあり、秋口にはようやく痛みも治まってきた。そして11月、約8ヶ月の離脱から戻り、黒津はようやくチームの全体練習に合流を果たす。サッカー選手としての喜びを取り戻したのはもちろんだが、ずっと孤独だった黒津にとって、仲間たちと一緒にトレーニングできることが何よりもうれしかった。
「改めてみんなとサッカーができる喜びをかみしめてました。復帰したての頃は一緒にアップするだけでも楽しくてしょうがなかったですから。戻ってこられて本当によかったですけど、自分ひとりでここまでくることはできなかった。家族、チームメイト、ドクターやトレーナー、スタッフのみんな、そしてサポーター。みんなに感謝しています」
そしてリーグ戦のホーム最終戦、横浜F・マリノス戦。3-0でリードして迎えたロスタイム、黒津は観客の大歓声に迎えられ、ピッチに足を踏み入れた。それまで辛い日々が続いていたが、等々力のサポーターに温かく迎え入れてもらったこと、そして長年一緒にプレーしてきたジュニーニョの等々力でのラストゲームに間に合ったことが、それまでの苦労を帳消しにしてくれた。
「ギリギリセーフって感じで間に合いました。復帰するまでの過程を考えると、怪我が治ってピッチに立てたことだけでもう胸が一杯でしたね。最後にジュニーニョと一緒にプレーできて、なおかつ等々力でひさしぶりに気持ちよく勝てたし、最後の最後で報われました。自分がピッチに入るときも、サポーターが盛大に歓迎してくれましたし。拍手ぐらいはしてくれるかなとは思っていましたけど、予想以上の盛り上がりで迎えてもらいました。『うわー、等々力に戻ってきた。これだよ、これ!』って。時間にしてみたら5分程度でしたけど、自分にとってはすごく重みのある忘れられない時間でした」
リーグ戦1試合と天皇杯1試合。どうにか2011年中に復帰することはできた。だが2試合とも終盤の数分間プレーしたのみで、実戦感覚という点ではトップフォームにはまだ遠い。まずはピッチでの試合勘を取り戻すことが最大のテーマだ。こればかりは練習試合を含めて、実戦をこなしていくしか解決策はないだろう。
「感覚的には相手を抜いたと思っているのに抜けてなかったりとか、スピードが追いついてないとかはありました。やっぱりどれだけフィジカルを上げても、試合の動きをやっていかなきゃ実戦感覚を養うことはできない。去年は実戦から遠ざかってしまったので、今年からまた少しずつやっていかないと。キャンプでしっかり体を作って、そこから練習試合という流れになると思いますけど」
2011年のフロンターレはリーグ戦8連敗を味わい、一時は降格の二文字がちらつくほどの苦しいシーズンとなった。黒津自身はピッチに立てない悔しさを嫌というほど味わったが、チームメイトたちと喜びや悔しさを共有できなかったことが一番辛かった。
「8連敗したなかで一緒にやってきた選手たちは同じ苦しみを味わった。でも俺は練習グラウンドにいなかったから、本当の意味で負けた悔しさ、長いトンネルを抜けて山形戦で勝ったときの喜びを一緒に感じていないんです。チームをずっと見ているけど、外から見ている感じというか、中に入れていないというか。復帰してから時間がたつにつれて、『こんなに長くいるのに、俺は何もやってない』って、ふと寂しさを感じるときもありました。だから今年はその遅れを取り戻さなきゃいけないし、絶対にやらなきゃいけない」
それぞれが苦しみ、考えさせられた昨シーズンを経て迎える2012年。今年も選手の入れ替わりがあり、個性的な選手たちが新たに加わった。1年1年変化していくなかで、チーム全体、そして選手個人も変わらなければならないと黒津は考えている。
「当然、去年の成績じゃダメなわけだし、去年の課題をふまえて変わっていかないと。ただ、何年もかけてうちのスタイルを作り上げてきたわけだから、そのよさはなくさずにやっていきたい。自分は試合に絡んでいなかったぶん、変なプレッシャーなくやれると思います。チームとしては、全然歯が立たずに負けたわけじゃなくて、いつも惜しいところでやられている。でも、いくら内容がよくても勝たなきゃ意味がない。勝てないと選手は気持ちよくプレーできなくなっていくし、サポーターだって勝たなきゃ納得しないと思う」
2011年の最終戦となった天皇杯湘南戦。フロンターレは試合の主導権を握りながらゴールを挙げることができず、0-1で敗れた。今シーズンを象徴するようなフラストレーションのたまる試合展開に、スタンドからはブーイングが起こった。
「負けたらブーイングでいいと思う。勝てただろっていう試合で負ければ、観ている人だってイライラするのは当然だから。選手は選手でいろいろな思いがありますけど、サポーターが期待してくれている以上、その声に応えなきゃ。
去年、俺はほとんど外から見てただけでしたけど、今年は観客が興奮して熱くなれるようなプレーをしたい。何かが伝わっているからこそ、うちのサポーターは結果に関係なく拍手をしてくれるわけで。まずそれが一番だと思うし、そういう試合をすれば必然的に結果もついてくる。フロンターレの選手として、『また次も等々力にいこう』と思ってもらえるような試合をしなきゃっていう使命感はあります」
決して器用なタイプではない。その日の練習、その日の紅白戦、そして本番の試合。つねに目の前のボールを無我夢中で追いかけ、全力を尽くして走り抜けてきた。快足を飛ばしてボールに食らいつき、思いきり左足を振り抜く。シーズンを重ねるごとに若干の変化はあっても、黒津のプレースタイルの根本は揺らぐことはないだろう。
「開幕まで2ヶ月足らず。スタートダッシュが大事なので、最初からとんとんと勝っていけるようにしっかり準備をしていきたい。変わるのを待つんじゃなくて、選手自身から変わっていかなきゃダメだと思います。そのために監督やスタッフに手助けをしてもらって、チーム全体でいい方向に向かっていきたい。自分は去年みんなと一緒にやっている時間は短いですけど、試合に使ってもらえるなら言い訳はできないし、出るからにはやらなきゃいけない。まずはいい状態で開幕を迎えること。そこからが俺のスタートです」
もう後ろは振り向かない。新シーズンに向けて前に進んでいくだけだ。二段、三段とギアを上げて加速する韋駄天FWのユニフォーム姿を再びピッチで見ることができそうだ。
「チームも復活、個人も復活。怪我人も戻ってくるし、新しい選手が入ってきて競争も激しくなると思いますけど、楽しみですよ。何しろやっとスタートからみんなと一緒にサッカーができるわけだから。去年のことがあったからこそいまがあると思えるようなシーズンにしたい。まだチームは始動はしていないですけど、いまから燃えてますよ、俺」
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[くろつ・まさる]
Jリーグ有数の瞬発力を誇るレフティー。2010シーズンはプロ10年目にしてコンスタントに出場数を伸ばし、成果と課題を見出した貴重な1年間となった。ポテンシャルの高さは誰もが認めるところ。1982年8月20日/茨城県古河市生まれ。>詳細プロフィール